無意識日記々

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ぼくはくま、くま、くま、くま

くまちゃんとは何だったのか。何であるのか。そしてこれからのくまちゃんとは。

文体と「くまちゃん」の響きのミスマッチが面白くてついベタな書き出しをしてしまったが、今回2人が純子さんについて告白した事で、くまちゃんの位置付けは大きく…でもないな、幾らかは変化する。

ファンなら薄々感じていた事だ。「藤圭子自殺」の報が入ってきた時、事の真偽やタイミングは兎も角、「恐れていた事が起きた」と思った人が多いのではないか。2人にとっても同じだっただろう事も又容易に想像がつく。だからといってそれを阻めなかった後悔の念が消える訳ではない。寧ろ「だのになぜ」の方が大きいかもしれない。どうにかならなかったのか、と。

周囲は「そんな事はないよ。責任なんてない。仕方なかったんだ。」と言っておけばよい。気持ちは伝わる。だが、後悔の念、それは一生ついて回る。その覚悟も、恐らく出来ているだろう。

話が逸れた。いや語るべき事が多すぎるから言える所から言っておいた方がいいか。取り敢えず軌道修正。


今回の注目点は、照實さんが「この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです」と語っている所だ。すぐさま、浦沢対談でヒカルが「5歳の時にMONSTERを見た」と発言した事を想起した。2つに関連があるかどうかはわからない。同じを指しているかもしれないし、全く別かもしれない。わからない。いえるのはこの頃、光は自らの生き方を左右するような大きな感情の揺れを経験した、という事だ。

5歳の頃から、ときいて「そんなに早くから!?」と少々驚いた事は正直に告白しなければならない。恐らく、何らかの精神状態にはなっていたりするのだろう、とは推察していた。今回のヒカルの記述で、薄々とだが病名も察せられる。どこかでそれは専門家が分析してくれるだろうから置くとして、問題はその程度とその期間、How & When 或いは How longであった。断片的にではあるが、時折、圭子さんが普通にヒカルのマネージャーとして振る舞っている映像も残っている為、一体いつ頃から、どの程度にだったのかが、こちらからはわからなかった。ついぞ今までヒカルが語らなかった事だし、こちらもそういった点がわからない為どこから手をつけていいかわからない。その為、今まで何かを語る時圭子さんのそういう面に関しては触れずにきた。

しかし今。時期や程度も含め、2人からの説明があった。こうして公表した以上は、今後公の場ではこれを前提に話が進む事になる。茨の道だが、2人の決断を支持しよう。

くまちゃんがやってきたのは2006年1月19日。今までは、やがて終わる結婚生活や、そういった面を勘案しないで純子さんと絡めて解釈してきた。しかしこれからは、もっと包括的に、くまちゃんの存在について語る事が出来る。少し時機を急ぎ過ぎている為若干不謹慎にも響くかもしれないが、どうか御容赦願いたい。なんか、引っ張っちゃったw