無意識日記々

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山吹色に耀く思い出

ヒカルが「いちばん好きな色」は「ことぶき色」ならぬ「山吹色」で、この色はジョジョ世代なら“サンライトイエロー”なのだと納得する程太陽の色である。ヒカルが太陽云々という時は大抵お母さんのことで、だから山吹色がいちばん好きな色なのねというのが毎度の解釈ですわね。

なぜ太陽なのか。と言われても、多分シンプルに幼き日の記憶の中でとても輝かしい存在だったんだろうなと。母親というのがね。それは、言われてみればヒカルに限った事ではなく、自分にとっても小さい頃は母親は太陽のような存在だったなぁと思い返す。

ヒカルが太陽を歌う時は確かに藤圭子さん/宇多田純子さんを念頭に置いている。しかし、そこからもっと一般的な「母親」という概念に昇華しているのか、いないのか。ここを考えた時、いつもなら性別や年齢などを飛び越えて入れ替えて普遍的な歌詞をまとめるヒカルが、こと母親に関しては「手放したがってない」感じがどうしても付き纏う。あたしの思い込みかねぇ?

山吹色の思い出があまりに純子さん個人と強く結びついてしまっていて、どこかそこで飛躍しないというか。勿論、作詞の上で毎度母親の事を異性との恋愛に組み替えたりはしている。それはそう。そちらではなく、太陽のイメージの方だ。それが、概念としての母親や母性ではなく、宇多田純子さん個人に対する印象で塗り固められているような、そんな感触があるんですよ。まさに山吹色にね。

『Be My Last』の『かあさんどうして』は普遍的な母親と解釈する一方で、『time will tell』に出てくる『太陽』は、概念としての母親というより宇多田純子さんそのものなのでは、という話。

そもそも、「太陽」という存在自体が稀有なんだよね。唯一無二で、他に替えがきかなくて、しかし誰でも知っている。これは一般名詞なのか固有名詞なのかよくわからない。いやまぁ“The Sun”てな風に書きますのやけどね。その感覚を上手く使って、普遍的だけれど唯一無二な有り様をヒカルにとっての山吹色に眩く耀く純子さんの記憶と重ね合わせているような。そんか事を考えてたのよ。どうなんだろうねぇ?