無意識日記々

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肩と喉

今年の野球はメジャーリーグプロ野球とも記録的な投手の活躍で最後まで走り抜いた。海の向こうではレッドソックスの上原が、日本ではイーグルスの田中が、それぞれ後世の人々が目を疑うような数字を残した。

これだけの活躍をすると、決まって「来年以降は大丈夫か」という論が出てくる。好調な投手に頼り過ぎて酷使が過ぎないかと。特に田中は日本シリーズで160球を投げた翌日に抑えとして登板した。報道によると本人の意志だったとの事だが、確かに、あれだけ並外れた成績(ペナント24勝0敗1セーブ)を挙げた投手に対してだと、往年の金田ではないが、監督であってもおいそれとは抑えつけられなかったのかもしれない。

投手の肩は消耗品、とよく言う。肩なんて言い方は単なる比喩で要は全身の体力の事なのだが、何千日と続くプロ生活の中で一、二日無理をしただけで残り総ての人生を棒に振る位に繊細で緻密な設計を要する職業である。何をもって「効能最大化」というべきかはわからない。例えばこのあと田中が即引退をするつもりなら今回の日本シリーズ登板過多は明らかな正解だろう。しかし来年から15年間メジャーで投げ続けたいというのなら危ない橋を渡ったと言わざるを得ない。ケースバイケースである。


歌手の喉もまた、投手の肩と同じく、それがただの比喩であると共に、緻密で繊細な消耗品である。ある日1日限界を超えた歌唱を披露するだけで次の10年を棒にふりかねない。これもまた、何がよかったかは本人の予定の立て方による。末永く続けるつもりならそれを見越した歌い方があり、周囲はそれを、本人がたとえ無理をしたいといっても諭して説得すべき問題だ。

ヒカルも、UU06の時は非常に危なっかしかったが、In The Flesh 2010では幾らかペース配分を考えた歌唱を披露していたように思う。そう考えると、ウタユナは連投で何百球も投げる高校野球みたいなもので、インフレ以降で漸くプロとしての自覚が出てきた、みたいなステップの踏み方なのかもしれない。歌手の場合は投手と異なり、60代70代になっても現役を続ける事が可能なので、結果論でしかないが、今のところHikaruの"喉"はうまい具合に来ているといえる。しかしながら、周囲は、如何に本人の発言力が強くても、彼女が無理をしそうになったら場合によっては止めに入る勇気をもって欲しい。最早彼女の"喉"は彼女自身だけのものではない価値の広がりを見せていくのだから。恐らく、これからは世界中に対して、ね。