無意識日記々

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ライブ・アルバムノススメ

何でライブ・アルバム出さないんだろうねぇ。

今やコンサートDVDは一大産業で、アーティストによっては売上高でCDを上回る。そんな時代に、今更音だけの「ライブ・アルバム」に需要があるのやら。ただでさえ、"音だけ"のコンテンツではスマホ世代にアピールしづらいというのに。

それに、ライブ・アルバムという体裁自体を嫌う層が居る。拍手や歓声が煩わしいと。ごもっとも。特に、音楽が「別世界に連れて行ってくれる系」だと尚更だろう。妙に生々しくなられても困るわな。

あと、ヒカルファンだと、もしかしたら「自分以外の誰かに向かって歌って、自分以外の誰かと喋ってる音声だけを聞かされるのはつらい」なんてこともあるかもしれない。ないかもしれない。いずれにせよライブアルバム嫌いは一定数以上居てはって、その理由も納得できるものが多い。

でもあえて、ここで「ライブ・アルバムのよさ」をアピールしておきたい。こういう時いろんなアピール・ポイントがあるものなのだが、今回は「慣れ」を挙げさせてうただこうか。

ウタユナで私の見た3&4公演目の静岡と22、23公演目の代々木アリーナでは特にバンドサウンドが雲泥の差であった。まさに見違える程に。同一人物たちが演奏をしているとは思えなかったよ、いやはや。

それ位に差が出る。人は2ヶ月あれば学習して成長するのだ。どれだけ技術があろうと、音楽の事を理解し、メンバーの事を理解しなければいい演奏は出来ない。その事をツアーを通して教えられた。

則ち。皆が演奏に慣れた頃のテイクで録音すると演奏の出来が全然違うのである。今回ライブ・アルバムを推す理由はそれである。レコーディング時は何が何だかわからないまま録音していたとしても、ツアーを通して何度も演奏をしているうちに「そういうことだったのか」と気付く場面が多々出てくる。その積み重ねの結実がライブ・アルバムになるのだ。複数人の"息の合った演奏"は本当に凄い。それを音源として円盤に封入すべきだろう。


さてここまでは一般論だ。ヒカルは常識外れの才能を持っているので、果たしてこの論が通用するかどうか。

まず「レコーディング時点での音楽への理解度」だが、ヒカルはバカ高い。当たり前だ、作詞作曲してプロデュースまでして更に自分でパフォームする(歌う)のだ。この世の誰よりも目の前の楽曲について熟知している。従って、ツアーを重ねても理解度が上がる事は、他のツアー・メンバーに較べて遥かに期待できない。

しかし、それでも"歌い慣れる"事はある筈だ。最初は意識的にコントロールしなければ出せなかった声や節回しも、何度も歌っているうちに無意識に出来るようになってくる。そうなると歌唱に余裕が出てきて新しいフェイクやよりダイナミックな歌い回しなどが登場してくる。緊張して歌入れをしたスタジオ・バージョンより成熟している可能性は、ある。

しかし、それももしかしたらヒカルには通用しない一般論なのかもしれない。特にヴォーカル・プロデュースが三宅さんの時はヒカルは同じ歌を何度も何度も何度も何度も歌わされている筈。レコーディングが終わる頃には「もう歌いたくない!」となっている事もまた、考えられる。

テイクとしては、歌に対して新鮮な気持ちのままレコーディングしたものの方がよりよいケースもある事もまた事実。本当にケース・バイ・ケースだ。

だがしかし、それも含めて、結局ライブ・アルバムを出す理由になるのではないか。慣れたら、よくなるのか、ならなかったのか。それを確かめる為にも、新しい曲をライブでやった分だけでもライブ・ヴァージョンをリリースしていってみては如何だろうか。つまり、何が言いたいかといえば、ヒカルの曲全曲についてライブ・ヴァージョンが欲しいなぁと。それだけだな。その為には全部の曲を一度はライブで歌ってみなくてはならないし、それらが録音されていなければならない。大変な手間だなぁ。おいそれとお願い出来る事じゃない。だからこうやって自分の日記に綴るだけに留めておきますね。