無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

まだこの話題を引っ張るのか俺。

はぁ〜っ。(溜息)

沢木耕太郎「流星ひとつ」の可能性が高い、と述べたのは、この本が悪書だからではなく、寧ろそれなりに評判がよさげだからである。

もし、これが藤三郎氏の著作か何かなら、もっとキッパリハッキリした対応になったのではないか。彼の胡散臭さは照實さんを遥かに上回るからだ。それでも泥仕合を演出して面白がるのがゴシップのゴシップたる所以だが…。

つまり、沢木氏の著作(及び氏の作家としての名声)が、藤ファンや宇多田ファンの間ですら好評を呼んでいるからこそ、訴訟に打って出てもその状況を覆したくなったのかもしれない。確かに、それなら誤解を解くべき相手はかなりハッキリする。目的も明確だ。筋も通りわかりやすい。だからといって、それが奏功するかといえばそれもまた難しい。

そうであっても尚、法的手段に訴える必然性には乏しい。ヒカルには今や150万人近いTwitterフォロワーが居るし、照實さんのフォロワーだって2万人を超えている。Message from Hikki や Staff Diary を更新して告知するだけで、かなりの人に伝わる筈である。極端な話、この2万人以外の人にどう思われても構わんのじゃないか? ドライに「商売上のお得意様」として考えた時に、この2万人は15000円のBox Setを購入する層である。彼らの抱く誤解だけ解けば十分なのではないだろうか。それ以外の"世間"の人たちって一体…。

マスメディアというのは(こちらからみれば)気まぐれなもので、これだけこちらが「裁判沙汰がメディアで報じられたらどうしよう」と心配していても、このネタで数字が取れそうもないとみればまるで見向きもせず拍子を抜かされてしまったりする。報じられなければそれで終わり。全く、極端なものだ。

勿論、昨夏の態勢を思い出してみれば、格好の餌食になるであろう事は疑いがない。未だに、ヒカルについて検索すれば昨夏の記事ばかりがヒットする。正直迷惑なのだが、"世間"にとって今の宇多田ヒカルは、紛れもなく"去年お母さんを自殺?で亡くした人"なのだ。私にとっては"一昨年桜流しを作詞作曲し、久々にラジオ番組のDJとして戻ってきた人"であり、お母さんが亡くなられた事や、藤圭子が急逝した事はそれぞれまた別の一大事なのだけれど、そんな風には思われていないのだ。

それが、先月から、First Love15執念記念盤の発売がアナウンスされ、漸く少しずつ、少ぉしずつそういった挿話から自由になれつつあり、年が明けてそろそろ前に進みませんか、という空気を作り始められるかなと思った矢先のコレなので、私は結構ウンザリしているのである。書く方もモヤモヤしているし、これ読まされる方だって釈然としない。ごめん。

今回の件で、ヒカルが出てくる必要はない。照實さんから筋の通った説明があれば十分だ。それを聞いて、訴訟に理か利があるとわかれば、U3MUSICのファンとして応援もしよう。でなくば、やはり、ただのいち音楽ファンとして「そんな余計な事してる暇があったら休暇でもとってリフレッシュしてください」と真正面から厭味を呟こう。という訳で、新情報が出るまで当日記では一旦この話題は打ち切り。もっと楽しい話をしようぜ俺達はまだ生きているんだからさ。