『大空で抱きしめて』。「First Single」と呼ばれる以上やはり、『time will tell』ほどではないにせよ『Automatic』との符合についても触れておきたい。
『Automatic』の歌詞は宇多田ヒカルにとって基本のようなもので、言い方は悪いが中庸でどうとでも取れたりする内容である。しかし、今回は直接的に『抱きしめる』という動詞が共通して出てくる点は先ず指摘してよいだろう。そう、『抱きしめられると君とParadiseにいるみたい』である。
そして『空』に関しては基本的な関係が出てくる。
『君に会えないmy rainy days』
と
『声を聞けば自動的にsun will shine』
の2節である。これは非常に象徴的だ。つまりヒカルにとって
『愛する人に会えない』=『雨』
であり、
『愛する人に触れれる』=『晴』
なのだ。この関係性は『Fantome』でも『大空で抱きしめて』でも一貫している。
『降り止まぬ真夏の通り雨』とは、「いつもだったら会えない日が続いててもいつかまた会える日があった。でも、もう会える日はやってこない。永遠に。」という意味だ。会えない日々は通り雨のようなもので、悲しいけれどいつかきっと止む。また会える。それが今までだった。だから会えない日々は通り雨。会えた日は晴の日。そう思えていた。それが叶わなくなった。永遠の別れである。
『Automatic/time will tell』から連綿と続く晴雨と想い人の関係性。何故ヒカルはこのような比喩を用いるのだろうか。
ニュアンスとしては確かにわからなくもないが、私はもっと直接的な比喩だと踏んでいる。ヒカルにとって、お母さんは太陽なのだ。だから雨が降ったら会えない。雲の中を飛んで行って雲の上に飛び出せば太陽に会える、お母さんに会えるのだ。
藤圭子さんのミドルネーム(ニックネーム)が"ラー"なのは、古いファンならご存知だろう。これは「太陽神ラー」の事である。ヒカルにとってお母さんは「太陽みたいな存在」であるだけでなく、直接的な記号・象徴として「母=太陽」なのである。ラーだから。余談だが、照實さんのミドルネーム(ニックネーム)は"スキーイング"。てっきりスキーが好きだからかと思ったらこれは「スキング」即ち「ス・キング」=「酢王」の事らしい。酢に目がないのですと。だから宇多田照實宇多田純子夫妻が揃うと「ラー油」と「酢」で餃子が食べられるね!という事で宇多田家のソウルフード(と言うんかこれ?)は餃子だという話。ほんまかいな。ハンバーグ嫌いな理由言う時に「一度挽き肉にしておいてもう一度くっつけるのが許せない」とか何とか言ってた気がするがそれ餃子も同じやで。
話が逸れた。ヒカルは空についての歌を幾つか書いているが、最も肝要なのはその中心に位置する「太陽」なのだ。『青空』について歌った『Passion』の前にあるインタールードは『Eclipse』、日食である(月食かもしれないがね)。太陽が隠されたり現れたり、その時の心境を綴ったのが『time will tell』であり『Automatic』であり、そしてこの『大空で抱きしめて』、なのかもしれない。まだ歌詞の全貌がわからないから慎重に、ね。解禁の日が待たれる。