無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

have a sweet&sour dream...

前回のエントリーを読み直してみて「お前面白い事書くな」と素で思った。我ながらおめでたい奴だなぁと。でもそれがいちばん大事かもね。自分で撒いた種は自分で刈り取って収穫して美味しくうただこう。それが土を耕す意義である。最初っから人に食べさせる為に土を耕すのは…いい事だが、いきなりそれでは何か不自然だ。自分が欲しいものは自分で作る。それがまずは基本だろう…

いや、自然と不自然が逆か。農耕ってのは自然破壊だ。本来そんな風に植物は育たないのに整理整頓して…という。まぁ、"自然さ"にこだわり始めると答は常に「死ねばいいじゃない」になるからね。宇宙があるとか生きているとかいう厳密な意味での奇跡、それがこうやって維持されて消え失せない事は究極の不自然だ。勿論、こうやっている時間も僅か一炊の夢でしかないのかもしれないけれど。

もう明日は甘酔か。早いなぁ。いや、冷静に考えたら、先週甘酔を聴いていた時点では「来週の放送を聴く頃にはHikaruも結婚してるんだろうなぁ」だなんて1mmも、一ミクロンも思わなかった。Å出しちゃうぞコラー。しかし現実は斯様である。何とも不思議な感覚だ。

それにしても喧(かまびす)しい。今は人間活動期間中ではなかったのか。In The Fleshが遂にリリースされ、First Loveの15周年盤の発売が決まり、裁判が取り沙汰され、熊淡が放送されたり放送されなかったり、不意を突いて甘酔が突如目の前に現れたと思ったら結婚である。目まぐるしいったらありゃしない。どないして欲しいんやほんま。このまま活動再開なんぞされたら目も当てられんわぃ。

落ち着こうか。新曲は一年以上出ていない。それで十分だ。ヒカルに何を求めるかは人の数だけあるとは思うが、私が「居て欲しい」の次にいつも思うのは「いい曲を書いて欲しい」である。作詞作曲家として、何より期待している。いい曲というのは、死生観を反転させる。聴くまでは全く気がついていなかったのに、聴いた瞬間に、それがあるべき姿であった事を思い出すのだ。それがそうある事が自然…何かが生まれた時により強く必然性を感じさせる存在、それが曲である。奇跡の筈なのに、それが当然のような…「存在」という存在の不思議を、最もシンプルに感じさせてくれるのが歌なのだと思う。だから、何故ヒカルはそこに居るのだろうという不思議の感覚と、いい曲を書いて欲しいという私の希望は、私にとって同じものなのだろう。恋の起源。なぜだかそう言いたくなった。そこでFirst Loveが改めて発売されるというのは見事な流れだ。

甘酔も、まずはAutomatic/time will tell、更にはMovin' On Without You、そして最終的にはFirst Loveに、少しずつ追いついていく。15年前の初めての追体験は、奇妙な同期の軌道を描きながら、我々にこの奇跡が何だったのか、どこから来たのかを教えてくれる。その導き手は、あの何も余計な事を考えていない、クソ生意気なバイリンガルの15歳のガキンチョである。本人も、こんな事になるとは夢にも思っていなかっただろう。一回くらい、放送を聴いてみればいいのに。嗚呼、明日の放送が楽しみだ。関東の天気予報は雪だそうです。