無意識日記々

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相変わらずハイレゾツンデレ日記

おぉ、「初心者にもわかるハイレゾ解説ページ」なるものが出来たのか。「3倍の情報量」とか「升目が細かくなる」などの表現からは、専門家による文章ではない風が漂ってくるが今の時点では細かい事はどうでもいい。そうそう、こういうフォローが大事なのだ。まずはその行動力を讃えたい。素晴らしい。

本来ならば、宇多田ヒカルという名前の大きさであれば、ハードウェアメイカーとコラボレーションして、予算に応じてこれとこれを買いなさい位の押しつけがましさを出せるところまで行ってもいいのだが、本人不在の今は兎に角これくらいでいいだろう。興味のある方は是非御一読下さいな。

私は私で、では、根本的な点を指摘しておかねばなるまい。そもそも、「高音質って意味あるの?」という点から、本来は説明しなくちゃならんのだ。宇多田ヒカルのファン層から考えると。実は、聴き手の耳が高解像度の音かどうかがわからないのとは違うのだ。現実は。

皆が本当に知りたいのは「何それ美味しいの?」という点である。確かに、試聴してみればいい音、クリアで細かいところまで聴こえるサウンドだなと、わかるはわかるのだが、その為に何万何十万時には何百万も払うの?そこまでのものなの?というのが本音なのだ。3万円のヘッドフォン。確かにいい音だ。でもその金額を出したらアルバム10枚買えるよ、レンタルだったら100枚だ。そこまでのお金を出したいかというと、ねぇ?

そこを説得するには、まずは、今の宇多田チームがやっている通り「過去の名作の買い換え」をハイレゾでやってもらう事だ。聴き比べれば、今まで聴こえてこなかった音が次々と発見される。ハイレゾは、今のところ、黎明期草創期だけあって、新作を買ってもらうよりは、聴き慣れた名作の再評価へと繋げる機能の方が大きいだろう。宇多田チームはそれを今年実践している。そこまではよい。

もうひとつ、高音質の価値を実感できる、しやすいコンテンツがある。ライブ実況盤だ。スタジオレコーディング作というのはそれだけで閉じた作品である。スタジオ作を好み、ライブ作品を忌避する人は決まってこう言う。「歓声や拍手が煩わしい」と。こういう人の求める高音質とは、ハイレゾの売りとは少々違うところにある。彼らに必要なのはノイズキャンセリングやホワイトノイズの低減であり、いわば、如何に音世界をクリーンに聴かせるかが大事なのだ。まずはそちら、次にハイレゾ的な高解像度が求められる、という順番である。

対して、ライブ実況盤大好き人間(私だ)にとって、最も大切なのは何といっても「臨場感」である。まるで、目の前でお気に入りのアーティストが歌ってくれているような感覚。それを感じられる事が大事だ。これも、実は最初に来る要請は解像度の話ではなくて、「余計な音が後から入れられていないか」だったりするのだが、それは、ライブ実況盤大好き人間にとっていちばん大事なのが「ありのまま」であるからだ。

となると、スタジオ作品よりライブ実況盤の方が、高解像度という美点は威力を発揮する。サウンドが細かいところまで鮮明であればあるほど、「まるで目の前に居る」感は高まる。これは理屈抜きに魅力的だ。


という訳で提案したいのは、過去のライブ作品のハイレゾ化である。宇多田ヒカルのコンテンツであるならば何をおいてもまず「Unplugged」だ。祝・今日で発売13周年。映像も勿論だが、"親密さ"こそテーマであるアンプラと、Hikkiファンにとって最重要要素である「ヒカルちゃんが身近に感じられる」点の相互作用。これをハイレゾリューションで提供すれば、如何にハイレゾというものが威力のあるものなのか、少なくともコアなファンには伝わる筈である。

勿論それはBlurayや、或いは音声のみを抽出してハイレゾ配信してもよいが、解説ページにあるように、今年はハイレゾ対応スマートフォンが出回り始めた年だ。まだ時期尚早とはいえ、スマートフォン向け映像配信なんかも案外需要があるかもしれない。未来への展望としてはアリだろう。まずは兎に角、既存ライブ作品のHD化リリースである。どうせなら思い切って、Blurayに音声のみのトラックもバンドルして再発されたら嬉しい事この上ないが、なんだかどんどん厚かましくなってきたので今宵はこの辺で筆を置いておきますまた次回!