無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

過去の幻想に囚われてましたの巻

今ちょうど来日中のGAMMA RAY、いやこれ書いてる時間はまさにLIVEの真っ最中である。少しでも時間を削って見に行くかどうかという迷いもなくはなかったが今回は見送った。新譜の出来がそこまでよくなかったからだ。LIVEは見れるうちに見ておいた方がいい、ホントミュージシャンなんて、いや人間なんていつ死ぬかわかんないんだから、というのは鉄則だが、カイ・ハンセンにはチャック・ベリーのように80歳を過ぎてもロックし続けていて欲しいので、次の機会を信じる事にしよう。いや明日気が変わって観に行くかもしんないけど。

新譜の出来がイマイチなんだよなぁ…と言いつつ、私にしては珍しく「昔はよかった」と呟いてみた。特にGAMMA RAYは1990年の1stアルバムが余りにも衝撃的で、4thアルバムでその残像を払拭するまで彼らもメンバーチェンジを繰り返しながら随分と悪戦苦闘したものだったよな…と回顧&懐古しながら、その1stアルバムを試しに聴いてみた。やはり素晴らしい。それに較べて最近の彼らは…と思ってもう一度新譜を聴き直してみると、あれれ。確かに、プロダクションは雑だし曲調の幅も狭くはなっているが、こと楽曲の出来に関していえばそんなに見劣りしないような…アルバムを代表する大作("Heading for Tomorrow"と"Avalon")もこうして聴き比べてみると互角の出来だし、ポップな曲もヘヴィな曲もフックの強さはそんなに変わらない。いや、この程度のクォリティーの差だったら全然許容範囲じゃないか…イチローの打率でいえば3割5分2厘と3割4分くらいの違いかな(なんやそのたとえは)。
兎も角、これだけの高いクォリティーを四半世紀に亘って維持し続けているのはかなり素晴らしい。固有名詞を出して申し訳ないが、20年前と較べると見る影もない小室哲哉とかとはえらい違いである。


そこまで来て漸く気が付いたのだ、自分はこの20年で随分とハードルを上げてきたのだと。いつの間にかそれに慣れっこになってしまって、半分無意識的になっていた。しかし、それは悪い事ではない。実際、この20年でGAMMA RAYの周りのバンドたちは(良い方にも悪い方にも先輩達も後輩達も)大きく変化・進化・深化してきている。それに合わせてこちらの価値基準が厳しくなっていくのは自然な事だ。ただ、流石に20年以上という時の流れの中での緩やかな変化はなかなか意識しておくのが難しい。

意識してハードルを上げている例もある。昨日話に出したアニメ「シドニアの騎士」がそれで、毎週実況しながらプー垂れてばかりいるけれど、なんだかんだで毎回結構面白いのだ。もしホントにつまらないと思ったら文句なんて言わない。ただ観なくなるだけである。自らハードルを上げて毎週々々物足りないと愚痴りながら楽しんでいる、そんなケースもあるのだ。


Hikaruの新曲が出る度に私は目一杯ハードルを上げている。毎回。それでも絶賛せざるを得ないのは本当に悔しい。色んな意味で。しかし、実はそれに加えて、きっとこの15年で私の中にも無意識的に上がったハードルや変化した価値基準なんかがある筈なのだ。それが実際どんな感じであるのかを"思い出す"のはとても難しい。しかし、宇多田ヒカルが居なかった頃に邦楽の歌手たちに対してどんな風に思っていたか、たまには思い出してみた方がよいのではないか。思い出を美化していたり、逆に必要以上に過小評価していたり。なので、"思い出の中の曲"だけではなく、実際に音源を引っ張り出してきて聴き比べてみる事で、そこらへんの無意識的な過程を炙り出せていけたらなぁと思っています。何が言いたいかというとそろそろFL15特集に戻ろうかなと。Bonus Tracks放りっぱなしだったからw