無意識日記々

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芸術家肌と職人肌

いつも言っている事をちょっと整理しておこうかと思う。芸術家肌と職人肌の話だ。

芸術家肌というのは、自らの表現活動に本質的に不確定性を含んでいる人を指す。次に何をしてくるかわからないし、芸術家本人も次の瞬間何をしでかすかわからない。ファン・支持者は彼・彼女を常に不安と心配の目で見つめ、締切などどこ吹く風、精神は不安定で、しかし、出てくる作品は強烈で。芸術家と呼ばれる人の中にはもっとコンスタントでコンシステントな人も居るが、取り敢えず今"芸術家肌"という形容で指すタイプはこんな感じだ。

職人肌というのは、注文に忠実である。締切を守るのは勿論コストの辻褄合わせも出来、何より支持者に不安を与えない。ひたすら安心と安定と信頼を提供するのをモットーとし、勿論仕事は高品質だ。仕事を休む事もなく、必ず求める水準に仕上げてくる。ドキドキするようなスリルはないが、兎に角任せておけば大丈夫という頼もしさに満ちている。勿論現実に職人と呼ばれる人の中にはもっとエキセントリックな人も居るけれど、さしあたって今"職人肌"という言い方で示す人物像はこんなところである。

宇多田ヒカルはどちらなのかというと、ファンの感覚としては前者の芸術家肌の人に近いという捉え方が割合としては多いのではないか。芸術、という高飛車な感じはないけれど、ファンとして不安と心配ばかりで過ごしている人が多い気がする。

で、本人はというと、これが総合すると職人肌の方になりたがっているようにみえる。アートに身を捧げる、その為にはどんな犠牲も…というタイプではなく、ちゃんと皆の期待に応えよう、しっかりしたものを届けよう、という意識が強い。

実際、15年もやっててそんなに仕事を飛ばしたり締切を破ったりコンサートをキャンセルしたりというのは無いのだ冷静に考えてみれば。多分"こりゃちょっと"と思うレベルなのはKuma Power Hourくらいで(全体の1/4がキャンセルだからね)、それだって1回は一生に一度あるかないかの衝撃的な出来事のせいであって誰もが致し方無しと思うケースだろう。コンサートのキャンセルだって徳島の一回限りなのだが当時は兎に角ボヘサマの注目度が高かったし直前のキャンセルという事でインパクトが強かったのだ。

あとはDeep RiverとThis Is The Oneの後に倒れたのが目立っているが、前者は手術の影響が大きいし、後者は明らかに働き過ぎだった。それに、別にアメリカの発売週に倒れたからって日本でのプロモーションに影響はないのだから日本人からすればインパクトはない筈である。

そもそも、宇多田ヒカルを不安と心配で眺めているのは熱心なファンだけであって、新曲が出る度に存在を思い出すような"遠くから見ている人々"からすれば、Pops職人としての、いやもっといえば"邦楽最後の良心"としての信頼はことのほか篤い。実際出す曲出す曲総てハイクォリティーなのだから、それをただ享受する人々にとっては"高品質ド安定の宇多田印"として認知されている、んだと思う。


つまり、ヒカルって遠くから眺めれば安定と信頼の職人肌で、彼女に常に注目して近くでみていたいと思えば思うほどどんどん芸術家肌にみえてくる、という摩訶不思議な存在なのだ。多分、ずっと近くで創作を手伝ってきた人たちにとっては本当に「次何してくるかサッパリわからないビックリ箱のような存在」なんじゃないだろうか。毎度々々締切ギリギリまで歌詞を練られるなんてプロデューサーやディレクターは気が気でないに決まっているのだが、何故か毎度奇跡的に着地させて、しかもそれがいつも"ギリギリまで待った甲斐があった"と実感させる出来なのだから"始末が悪い"。99%の芸術家肌が最後の最後で職人的に辻褄を合わせてくる。スリリングこの上ない。

そういうイメージなので、今現在ヒカルが精神的に不安定であるとしても、創作活動に携わっているのであれば、最終的には何とかなるんじゃないか、という"希望"はある。ただ、今までの反省を活かして、創作活動が終わった直後はプロモーションに入らず数ヶ月休むみたいなローテーションを組んだ方がいいかもしれないけれどもね。