無意識日記々

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前髪を棚引かせて当たり前体操

あらあら錦織惜しかったのね。準優勝ではさぞ悔しかろう。ビッグサーバーとの試合は、負ける時は一方的だ。次チリッチにあっさり勝った時に「これが全米の決勝だったら」としこたま言われるだろうがどうか気にせず勝ちましょう。

しかし、これで「決勝での負け癖」がついてしまうのだけは避けたい。グランドスラムの決勝は自分と相性がいいんだと思い込める為には勝つ以外ない。今後も四大大会奪取のチャンスは幾度もやってくるだろうが、チャンスを本当の成果に果たして変えていくことが出来るか。もう24歳なのだし是非とも「勝ち癖」をつけてもらいたいものだ。


スポーツの世界では「勝つ」という明確に過ぎる目標がある為、自身の現在を否定してより理想に近付く作用が効果を発揮する。わかりやすいが辛く苦しい。それに耐えられるだけの情熱と体力が必要である。

作曲家には「勝利」のような基準がない。何も音符の書いてない五線譜を広げて「どうぞ」と言われるだけだ。ゴールなんて見えないし、そもそもあるかどうかもわからない。何もかもが未確定で、何が正しいかをまず自分で決めなくてはならない。これの何が辛いかって「"負け"が無い」事なのだ。自分がダメだった時に「ダメでした」と言ってもらえない。これは想像以上にキツい。どこで見切りをつければいいか途方もなくわからない。

だから、人気というバロメーターは作曲家、音楽家にとって救いなのだ。お金が欲しい訳でも、有名になりたいのでもなく、売れたことで自分がよい結果を出したと外から言ってもらえるようになるし、売れなかったことでこれも外からダメ出ししてもらえるようになる。自分のしたことが何だったのか、取り敢えずわかる。これを救いと言わずして何と言う。

しかし、人気や売上を度外視すると本当に苦しい。本当の意味で苦しい。救いがない。自分に厳しくしたからといっていい曲が出来るとは限らないし、自分に甘かったら当然のようにダメになるかもしれない。事前にどういう結果が出るかわからない不安は、ものをつくる人にずっと共通のものだ。

何をしたらいいかわからない。そんな時に心掛ける事は、目の前に現れたチャンスを逃さない事だ。常に準備万端にして、しかるべき何かが自分の前に現れた時にしっかりと捕まえられるようにしておき、そして実際に捕まえる事。これが出来るかどうかなのだ。

凄くさりげない点だが、もしヒカルが「ぼくはくま」を口遊んだ時にそれをどこにも書き留めなかったとしたら(旋律を録音しなかったとしたら)、我々が「ぼくはくま」を知る事はなかった。Hikaruが書き留めて録音したから、成果がでたのである。当たり前過ぎる程に当たり前の事だが、果たしてメロディーが浮かんできた時に書き留める術をもっていて、そして本当に書き留めている人がどれだけ居るか。Hikaruはそれをしっかりやったのだ。天才なんて案外そんなもんである。錦織圭も、優勝できる実力がある事と、優勝するチャンスが巡ってくる事と、そして実際に優勝する事とを、しっかり区別してこれから活躍して欲しいものだ。