無意識日記々

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かてごりおしもんどう

この日記の第1カテゴリーの名前は察しがつく通り某新聞の一面コラムをもじったものだ。遂に社長会見までいった(という事は恐らく辞任が既定路線になったという事なの?)らしいので、新聞自体の存続とまではいかないまでも信頼や基盤は随分と揺るがされるだろう。

で、何が言いたいかというと、カテゴリー名にヒントを貰ってるからといって私は某紙に特に思い入れはないので、ショックを受けているとか幻滅をしてるとかありませんよ、というまぁそれだけです。気にしてる読者は居ないかなと思ったけどここは先回りで(笑)。

大体、じゃーなりずむの話をしようとしても面白い事にならない。ここで取り上げる時でも、「大きな悪影響と小さな好影響」という切り口が殆どだし、ヒカル自身先年は報道禍に遭った。よいイメージを持てというのが無理な話だと言えば無理な話。一般紙とタブロイドを同じに論じるのは乱暴ではあるが、この国の場合、電波事情と並んで新聞配達文化が庶民の思想統制上影響力が大きい。構造上の問題なのだ。

小さい頃田舎のテレビっ子だった故の実感なのだが、世の中にはテレビにも出ずに何万人もコンサートに人を呼べるバンド/ミュージシャンがたくさん居ると知った時不思議でならなかった。テレビを使わずに皆どうやって存在を知ったのか? そんなんでやっていけるものなのだなと。

それが今は、「宇多田ヒカルも地上波なんか使わずにもっと快適な活動環境を整えればいいのに」とか曰ってるんだから大人にはなりたくないものだ(?)。勿論一方で「全世界で成功したいならハードなプロモーションに取り組まねば」とも言ってるんだけど。まぁどちらも「ヒカルがそうしたいなら」こういう方法論があるよという仮定の上に立つ提案に過ぎないのだが。

私個人の願望をいえば、例えばライブ会場は数百人規模が心地良いから人気もそれ位がいいかな〜と思ったり、いやヒカルからすれば一万人くらいがちょうどいいと思ってそうだからそれくらいの人気がいいかな〜、と思ったり。つまり、「私個人の願望をいえば」と書き出しておきながら二言めには「ヒカルからすれば」と言い出す始末なので、結局ヒカルがどう思っているのかに関心がある、というのがいちばんの本音なのかもしれない。ライブ会場の規模とか人気の度合いとかは副次的なもので、やってくれさえすればどうでもいい事なんだな…。

その上で考えるなら、やっぱり最良の音響でヒカルの歌が堪能できる環境がいちばんだろう、と思う。私の関心はつまり、新聞の今後とか電波行政の問題点とか宇多田ヒカルの市場価値とか世界進出とかには殆どなく、第一にヒカルの心、第二に音にあるという事がわかった。カテゴリーの名前は兎も角、その関心度合いに即して当欄も毎日進んでいくのだろう。あぁ、朝日が眩しいな。