無意識日記々

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十年十昔・十曲十色・十把人絡げ

そうかー、EXODUSからもう10年なんだな。いつ聴いても夢のようなアルバムだ。楽曲のクォリティーという点ではやはりHEART STATIONが一番だろうが、作風・方向性として好きなのはやっぱりこれ。ロックもソウルもフォークも一流に歌えるという人は滅多におらず、しかもここまでメロディアスに纏められる人間となると歴史上みても果たして何人居るだろうかというレベル。欠点はやっぱり売るのが難しいところか。それは仕方が無い。30年後に再発したらビルボード最高位を更新するとか、そういうのでいいんじゃないの。そうなるのにもうあんまり時間ないけれど。今から30年なんてホントあっという間だからな。

やっぱり、Utadaの2枚は、シングル曲が半分を占める宇多田のアルバムに較べ、最初からアルバムを展望して楽曲が作られている為バランスがいい。EXODUSにはEXODUSの、This Is The OneにはThis Is The Oneとしてのコンセプトがちゃんと機能している。再生回数でいえば、アルバムとして通して聴く割合は私の場合この2枚の方が宇多田の5枚(7枚)より多い。全部聴いて充足する感じ。わかるかな。


両方とも、10年前、5年前の作品だし、そろそろ"逆"も聴いてみたいかな、なんて思ったりもする。つまり、最初っからアルバムを構成するつもりで作られる日本語曲群と、シングル曲を寄せ集めた英語曲群、という組み合わせ。実現は難しい。シングル偏重は日本市場の、アルバム偏重は米国市場のそれぞれ伝統だからだ。ただ、もう日本の邦楽市場なんてカタチを成していないんだから好き勝手やっちゃっていいんじゃないの、とは思う。その好き勝手が"ない"のが今までのヒカルなんですがね。

ただ、米国市場もここ数年変化の兆しを見せている。5,6曲入りのミニアルバムを順番に4枚出す、などの変則的なリリースが見受けられる。ダウンロードが主体になって、"アルバム"という形態が揺らいでいるからだ。どうやって各自のアーティストシップをアピールしていくかという課題に様々な人たちが挑んでいる。

例えば、EXODUSを曲単位で分解して購入するというのは、片側からみたら至極合理的な事だ。Popが好きな人はEasy BreezyやHotel Lobbyだけでいいし、様式美が好きな人はKremlin Duskを、コンテンポラリーが好きな人はLet Me Give You My Loveを、という風に、それぞれのジャンルのファンに受ける楽曲が揃っている。正直なところ、Kremlin Duskを聴いて気に入った人がWonder 'Boutを買ってまで聴きたいかというと割合はグッと減る気がする。

だからアルバム全体で通して聴く必要がある。10年前の時点でUtadaの多様性は10曲以上の楽曲を聴き並べないとみえてこない程になっていた。今のダウンロード主体の子たちに"Hikaruの全体像"を伝えるのはなかなかに難しい。一曲だけ聴いてあぁこれはいいやと思った貴方にも気に入る曲がきっとある筈なのに。

仮定の話だが、次に英語アルバムを出す時はどういう切り口で挑むのだろうか。This Is The Oneは、EXODUSの経験を活かして、有り体にいえば、Come Back To Meを気に入った人なら必ずや満足して貰えるような作風、になっていた訳だ。その分、多様性はB面における脇役的な配置となっていた。それはそれでいいのだが、じゃあ次はというと難しい。こちらからの感覚でいえばUtadaの3rdアルバムになる。あるとして、だが。それには何を期待すればいいのか。

ファンである我々は無条件に買って聴いてみるので、悩みの対象ではない。今回初めてウタダのアルバム買ってみましたみたいな人たちが出てきた場合、の話だ。率直に言って、今夜はいいアイデアが浮かばなかった。ただ、何も考えずにアルバムを作り始められる時代ではなくなったかな、という思いはある。21歳と26歳で作っておいてよかったな、としみじみ思いつつ31歳はあと4ヶ月ちょっとなのだなと思い出す。焦らず行こう。