無意識日記々

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ハイレゾの未来

今夜「メリーしゃっくりすます!」ってリプライした人何人くらいいたはりました? それはさておき。


ハイレゾシンコレは、結論からいえば素晴らしい。特にやはり生楽器を使った楽曲の数々は溜飲の下がる思いだ。全体的に、スターリング・スタジオの面々も10年前の仕事を覚えていたのか、オリジナル・アルバムのハイレゾ化というより、"シングル・コレクションのリマスタリングハイレゾ化"という空気が強い。特に、「First Love」アルバムからの4曲はFL15のハイレゾ音源が販売されているのだから聴き比べてみるとよい。同じハイレゾ化でもこれだけ違うサウンドになるのだ。

さて…私はちょっと、先に"一足跳びのコメント"をしておきたい。今聞こえてきているハイレゾリマスター音源の話ではあるが、未来を見据えて。

最初にシンコレハイレゾを聴いた時、特に"FINAL DISTANCE"に感動し、「まるでマイクと唇の距離まで伝わってくるようだ」みたいなツイートをした。これは本音であり、それだけヴォーカルがリアルに聞こえてきて感動した、というのは間違いないが、もうひとつの意味も含めていた。それは、「結局マイクの存在を意識せざるを得ないのか」という事だ。

究極の音源とは。それは、ヒカルが目の前で歌っているのと区別がつかない音源である。"完全再現"。そんな音源や再生機器が可能なのかどうかは兎も角、究極的に求められるのはこれだろう。

今の段階では、如何にハイレゾとはいえ、「マイクを通して変換されてアンプで増幅された歌」までしかならない。いや、ライブ会場で聴けるのはその音だし、普通の音源や再生機器に求められているのはそういう事だから何の問題もないのだが、もっと欲を言えば、マイクを通している事すら忘れてしまうほどの"超々高音質の歌声"というのも聴いてみたくなった。

しかし、話はそう単純ではない。Hikaruの歌声はマイクロフォンありきなのだ。即ち、オペラ歌手のように生で直接声帯を振動させて空気を振動させて鼓膜を振動させて、というプロセスを経るのではなく、はなからマイクロフォンを通してアンプで増幅される事を前提とした歌い方、聴かせ方が為されているのである。Hikaruの歌い方は生歌を聴かせるようにはなっていないのだ。

つまり、私が今言っているThe Highest Resolutionサウンドは、Hikaruに合わなかったり、そもそも用無しなのかもわからない。もし"用有り"になったとすれば、それはHikaruの歌い方が変わった時、Hikaruが歌い方を変えた時だ。もしかしたらテクノロジーの発達が、Hikaruをそういった歌唱に追い込むかもしれない。妄想が膨らむ。


しかし現時点ではそんな絵空事にかかずらう事はしないでおこう。まずは目の前耳の傍で鳴っているサウンドに耳を傾け心を開いてみよう。まだまだハイレゾ初期、特にRock/Popsといった音楽ではハイレゾリマスタリングの技術は蓄積が薄い。それはまるで、CDが普及し始めた80年代末期にアナログレコード時代の名盤の数々をどんどん"初CD化"していった頃と似ている。確かに新しい媒体で聴けるようになったけど、サウンドはよくなったとは言い難い、まだまだアナログの方がいい、と言われていた時代だ。今も、まだまだただハイレゾ化しました、という域を出ていないと思う。しかし、これを積み重ねていく事によってノウハウが蓄積され、アップコンバート作業は有能になってゆく。本当に期待すべきなのは、ハイレゾリマスタリングが二周目に突入した後になるのかも。それが何十年後になるのかは、わからないけど。