無意識日記々

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漢字で書く方の熊の話

ヒカルの言動や歌詞に熊崇拝の影響がどれくらい出てくるかが気になっている。

ひらがなの「くま」にこだわっているうちはまだよかったのだが、漢字の「熊」の方は実在する哺乳類であり、こちらの方を気に掛けるとなると問題は一変してくる。ヒトと野生動物との共存の在り方についての実際的な議論が必要になってくるからだ。

ヒカルのバランス感覚からいって、単なる熊保護に向かう訳ではない事は察せられるし、それは幾つかのツイートからも窺い知れる。

熊害、熊によるヒト生存圏への侵食は深刻な、しかし規模としては小さな問題である。今のところ、国際問題になどはなっていない、という意味において、だ。だとしても深刻かつ微妙な問題点を幾つも孕んでいて、おいそれと解決策はこうだとは言えない状況である。

こちらとしては、前に論じたように、ここにきてヒカルが「熊」という、個体ではない、ある種の生物の集合について言及している点が気になっている。ヒトが1人々々多様なように、熊も1熊々々多様であって、中にはヒトに対して攻撃的な熊も居るかもしれないし、ヒトを恐れて一切接触しないようにしてる熊も居るかもしれない。熊は社会性の高い動物ではないようだが、熊社会も一枚岩ではないのである。

熊による"侵略"行為をどう捉えるか。その原因をヒトによる森林開発の結果だという人も居るし、気候変化の結果だという人も居る。情報が伝わってきていなかっただけで、実際の状況は昔とさほど変わっていないのかもしれない。部外者な自分にはわからない。しかしそもそも、何をもってして問題解決と見做すのかのコンセンサスが取れていないようにはみえる。

ヒカルの「問題意識のアプローチ」の仕方は明らかに熊側からであり、思考も元々は熊中心である。少なくとも入り口は、「野生動物によるヒトへの被害がある。」から「野生動物のうちには熊も含まれる。」へという流れではなく、熊に関する情報に関してアンテナを張っていたら、熊害問題が目に入った、という順序だっただろうと推察される。熊に注目していたら、ヒトとの軋轢が飛び込んできた、といったところだろうか。

もっとも、入り口の在り方はさして問題ではない。そこからどんな考察を積み重ね、問題設定をし、何に向かって動き始めるかが問題なのだ。そして、その点に関してはヒカルはあまり語っていない。幾つか特定の団体の名前を挙げていたようにも思うが、そこから話が進んだかどうか、我々は知らない。結局我々の知っている地点で止まったのか、そこから数年間何か進展があったのか。人間活動中の事なので詮索をする気はないが、復帰後の言動への、水面下にしろ表面上にしろ、何か影響はないのだろうかとふと気になった次第である。「くま」だけなら、平和だったのだけれどね。