無意識日記々

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EVAの結びへ向けて

そういや週刊誌の年齢、数え年で書かれていたような。厳重に抗議差し上げてもいいような気もしますねんけど。

年齢の話をするとどうしても評判が宜しくない、のかな。私が最近気にしているだけかもしれないから許しておくれ。

曲による、タイアップによる、としか言いようがないが、ヒカルの次の客層がどうなるか。この話題は度々触れてきた。

具体的に確定しているのはEVAとKHの固定ファンのうちの何%かだが、これらのコンテンツももう随分Old-fashionedというかOld-schoolというか大御所感が出てきていてファン層も少しずつ高齢化している。光を提供したのが13年前、Beautiful Worldを提供したのが8年前である。こういうのは3年毎に小さく世代交代、10〜12年毎に大きく世代交代なので、いずれもかなりファンが減っている或いは入れ替わっているという恐れが強い。特にゲーム業界はハードの移り変わりが激しい為世代交代というのも変則的になるのだが例によってこちらの業界は詳しくないので私は書かない。誰か書いてくれんかね。

EVAの方はまだ暫くは劇場版アニメーションというジャンルが元気なので全体の年齢が上がった、という風に捉えておけばよいかと思う。ただ、EVAQがどこまで継続的な関心を惹起し続ける事に貢献しているかが計りかねる。たとえEVAQ自体の作品としての評価を低く見積もっているとしても慣性で「どう完結するのかは知りたい」という層が相当数居る。ここらへんのこだわり加減は宇宙戦艦ヤマトの世代から徹底しているので、10年単位くらいの世代交代は新世代の流入で大体補充できるとみていい。ガンダムなんてFIRSTしか知らない人も沢山居たのにもう四十年近くシリーズが続いているのだから。まだストーリー自体が繋がっている現時点のEVAは全然大丈夫。

裏を返せば、8年前のような内容では観客を納得させるのは難しいかもしれない、という事だ。観客層の入れ替わりが少ないのなら皆そのまま歳をとっている。それ相応の内容にしないと「それでは物足りない」と言われかねない。

ただ、ここも実は難しい。アニメファンは年齢層が高ければ高いほど保守的で、アニメとしての様式美にこだわりを持っている。その枠組みから逸脱するものに関しては手厳しい。

更に捻れる。そもそもEVAは、その旧態依然とした様式を破壊しにかかった作品だった。「夕方6時になんつーことやっとるんだ」という内容が、若い層を捉えたのだ。しかし、当時若かった層も30代40代である。人によっては「蛇足」と(未だに)とらえかねない新劇場版EVAに対して今、或いは公開されるかもしれない2016年とか2017年とかの時点でどういう心境を抱いているのか。かなり動的な問題である。

このパズルを解かねばならない庵野総監督の心中を是非察してあげてうただきたい。そりゃあ鬱にもなるだろう。実際の所の彼の心境は勿論わからないのだが、こちらとしては、彼が怠けていたとかそういう事は一切なかったのではないかと解釈している。

その解釈が幾らか妥当であると仮定して。さぁヒカルがその苦悩に対してどのような答えを返したかという話になる。Beautiful Worldは順風満帆の象徴であった。序から破へと支持層を拡大し、新たな局面を切り開く力強さは新しい希望に満ちていた。それが一転、EVAQで混沌への原点回帰を見せた。それはまるで震災以後の日本人の心象風景を描いているようで、その無気力と絶望から立ち直る為のエネルギーを、アスカと桜流しが牽引して示しているかのような描写であった。

次が最終局面かどうかはわからない。ここから更に何部作かに別れる可能性もある。しかしいずれ、作品の終局を“出迎える”楽曲を、ヒカルは書かねばならない。それは恐らく、本当に母になったヒカルが描く「”新たな“嵐の女神」になるのではないか。もしかしたら、ヒカルが母になり、EVAという作品が帰ってきて"結び"を迎える準備が出来るまで、時を待たねばならなかったのかもしれない。それは最早、商業的成功や社会的地位といったものを超越した、作品と作品、才能と才能の対話の結実となるだろう。結末は、未だわからず。しかし、結ばれるはずの約束は既に我々の前に、たとえそれだと気づけなくても示されている筈だ。後は、それを見届けるだけである。願わくば、そこからまた新しい生命が生まれると信じて。



あれ? それだとゴジラの主題歌もヒカルに頼む事にならない? そうなったらもっと詳しい人に、この先の物語は任せましょうか。人にはわかる範囲というものがあるのだから。