無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

シン・ゴジラからシン・エヴァへ

で。問題なのは。「シン・ゴジラ」の庵野総監督が実に楽しそうな事だ。勿論話の中身は怪獣が攻めてくる絶望感溢れるものでモブが次々と死んでいく悲壮な物語なのだが、それとは別の次元で庵野さんひたすらノリノリである

あのEVAの、特にEVAQに顕著だった重厚なテーマ性、全体に流れる重苦しさからは随分距離がある。シン・ゴジラでは、テーマの設定が件の「センス・オブ・(ブラック・)ユーモア」な分、どんなカットや台詞にも批評的な笑いが込められている。結構軽やかなのだ。

どうにも、この構図、まるで庵野さんが"息抜き"でこの作品を作ったように見えてしまってな。いや、わかっている、シン・ゴジラの"凝りよう"は、並大抵のものじゃない。ディテールへのこだわりはそれこそエヴァンゲリオンを上回る。偏執狂的ですらある。しかし結局はギャグなので、どこか風通しがいい。昨日某アニメ系まとめサイトで「自分のオリジナルより二次創作の方が気合いが入る」みたいなコメントを読んで合点がいった。嗚呼、この人、東宝を使ってゴジラの同人映画作ってたのか。そりゃ楽しいや。


この経験が、もしかしたら次の「シン・エヴァンゲリオン」に大きな影響を及ぼすかもしれない、という誰でも考える事を言いたくて2日間シン・ゴジラについて語ってきた。ふう。これから、約束通りであれば、いよいよ彼はシン・エヴァにとりかかる。つまり、普通に考えれば、ヒカルの次のアルバムに収録される曲がシン・エヴァの主題歌となるだろう。

ここで庵野秀明総監督がどちらを向くかである。「シン・ゴジラ」の経験を活かして、「映画制作って、そういえばこんなに楽しいものだったんだな」と思い直してノリノリで作品を作るか、「やっぱり二次創作と違ってオリジナルは大変だ」となるのか。どちらだ。

しかし、そもそも21世紀の新劇版は旧世紀のエヴァンゲリオンの再構築、リビルド。即ちそれって自分のオリジナルの二次創作みたいなもんなんじゃないの。二次創作、同人誌って、オリジナルのキャラクターを使ってオリジナル・ストーリーの「たら・れば」を描写したもんでしょ。昔の庵野秀明を見て今の庵野秀明が「俺だったらこうする」ってのを具現化したのが新劇版ヱヴァなわけでな。つまり、「シン・ゴジラ」と同じノリで作って貰って一向に構わない。

とすると。ヒカルの提供する主題歌はどうなるかという気の早過ぎる話題からまた次回。