無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

AIの話はもうえぇわい

前回は「AIが書かなそうなことを書こう」と思ったらあぁなった。反省はしていない。

でもこれだけ数千例のサンプルがあれば「無意識日記風日記生成ジェネレーター」なんて作れそうだわね。自分も言い回しや文章構成に定型が幾つかあるのをわかって書いているので、それを読み取れれば「如何にも無意識日記っぽい日記」を生成するのはこれからのAIなら楽勝だろう。

しかし、「っぽい日記」は書けても、多分私が面白いと思える日記は、(少なくとも現行の設計思想の)AIには書けないだろう。そして結局日記を書き続けている動機は、私が後から(週末とかに)読んで面白いと感じるからだ。

Chat-GPTを試した人は、取り敢えず今の時点では「こいつ、何となくいけ好かないな」みたいな印象を抱きがちだろう。それは鋭い。人が「言ったこと」を集めて真似てるだけだからね、この子は。だがこれもデータと学習が深くなればわかりにくくなっていく。しかし、この子は最初っから何一つ理解をしていないし、未来永劫何かを理解することもない。永遠に「中国語の部屋」なのだ。そして、我々は途中からこの子が物事を理解していると錯覚したまま過ごして何ら不便のない日常を送る事になるだろう。比喩は皮肉にならなくなるのだ。

歌はどうか。同じく、このままAIが進化すれば「宇多田ヒカルっぽい」音楽、サウンドは作られていく。特にヴォーカルを真似られては「っぽい」と思わざるを得ない。しかし、いつまで経ってもそれだけだろうね。「っぽいね」以上の興味は抱けない。言葉の理解は錯覚できていっても、「曲の良さ」は錯覚できない。我々は曲の良さが何なのか知らないからね。そしてそれは常に、陳腐化する前の何かなのだ。

なので、ヒカルが将来AIを利用して曲作りをすることはあってもAIに取って代わられることは有り得ない。ヒカルの才能が朽ちて、「昔の宇多田ヒカルっぽい曲」しか書けなくなったら別だけども。普通の音楽家ならそういうことは往々にして有り得るが、ヒカルはそこからいちばん遠いとこに居るからな。

となると、AIによって「曲を作るペースが早くなる」くらいのことなら期待していいかなと思う。ただ、音楽はなんとかなっても、歌詞はなぁ。音楽ってパターンだし、何より「流れ」なので逐次的生成と相性がいいが、歌詞は最初バラバラなものを繋げて作るものだからね。エラーの山から正解を見つけ出すような。エラーに出会ったら(元々は)固まるしかなかったアルゴリズムくんには不得手な分野なのよね。

てことで、ヒカルがAIを使って手早く作った「インストアルバム」なら、将来(…20年後くらいかなぁ?)作られるかもしれないが、歌詞のある「歌」の部分の制作過程には、殆ど影響はない気がする。ワープロの漢字変換機能程度の影響で留まるだろう。まぁ、最初からわかりきったことじゃんかと言われたらそれまでの話なんだけど、AIの進歩に恐れ戦く人が今後増えていきそうだからさ。そんなんじゃないよ、って最初に言っとこうと思って。対話相手としても…もう既にヒカルにはくまちゃんがずっとついてるからね。

あーね、「現行の設計思想ではない設計で作られた人工知能」なら、ここ数回書いてきた事に当て嵌まらない創造的な営みが出来るようになるかもしれないけれど、それは最早「受精卵以外から人を作る」行為になっていくので、全く以て別の話になるのでした。そうなる未来は、いつ来るか、全く来ないのか、私にはさっぱりわかりませんのすけでござりまする。