無意識日記々

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来年への展望でも語り始めますかねぇ

今年のM-1グランプリの覇者はミルクボーイ。アンタッチャブルの記録を抜き歴代最高得点での優勝だった。彼らの特徴は古典落語風の台本を現代漫才のフォーマットに落とし込んだ点にあり、故に彼らよりかなり上の世代からも評価が高い。可笑しみの出汁の部分が耳馴染みのある古典だからだ。一方でそれを流し込んだ型は豊富な語彙と視点でツッコミを繰り出すモダンな漫才なので若いリスナーも笑いやすかった。なるほど、年齢層の幅広い審査員勢から満遍なく評価される訳ですよ。

若い人はご存知ないだろうが宇多田ヒカルのデビュー時の大爆発もそれに近い現象だったのだ。フォーマットはR&Bという当時邦楽には馴染みが薄かったがMISIAのデビュー(これが1998年2月)と共に俄に注目を集め始めたジャンルのそれだった。一方、特に『Automatic』がなのだが(こちらが1998年12月)、メロディ運びは日本人に非常に馴染み深い和音階に近く(そのものではない)曲として単純に受け入れやすかった。

すると何が起きたかというと、若いリスナーは今流行りのR&Bに恐ろしく若い(当時ヒカルは15歳)新人が登場したと色めき立ち、一方で壮年のリスナーは日本人らしいメロディ運びに酔いしれた。売れてくるとそこに「藤圭子の娘」というストーリーも付加されて更に加速されたがそれは売上上はメインの影響でもなかった。際立っていたのは、ひとつの要素が老若男女に受け容れられ易かったというよりは、ひとつひとつの要素がそれぞれの世代に響いたという点だ。

その複合性の性質は重要である。若いリスナーというのは、前の世代や上の世代に対して常に「自分たちの世代の音楽」を主張したがる。なので、どの時代でもあった事だが前の世代の音楽を否定しにかかって自らの世代の最先端ぶりをアピールする、一方で上の世代はもうそんな面倒な事は避け、ただただ自分の耳に馴染んだものと戯れるようになる。その為、CD全盛の90年代という時代にあっても世代間の隔たりは大きかった。日本という国は人種や文化によって音楽ジャンル&コミュニティが分断されることは無かったが、逆に世代間の断絶は諸外国よりも激しいかもしれなかった。

そこに21年前の宇多田ヒカルは食い込んでまさに全世代を魅了した。以後記録が抜かれなかったのは、満遍なく全世代に好かれやすい薄味のヒットはあっても、各世代に同時に濃味で響くヒットがなかったからである。

そして今。すっかりキャラクターというか立ち位置が浸透し、非常にシンプルに音楽家としての信頼を広い世代から得ている。なので、勿論今やR&Bという括りで語られる事は殆ど無くなり、また、当世の流行と絡められて語られる事も少なくなった。演奏陣の達者さやトラックメイカーのフレッシュさなどは極々一部の音楽ファンがはしゃいだりしているがそれだけだ。

なお余談になるが、1999年当時は余りに宇多田ヒカルの名前がメディアに出過ぎた為「宇多田ヒカルR&Bをやっている」ではなく、「R&Bとは宇多田ヒカルがやっている音楽のことを言うらしい」という認識が大半だった。R&Bという音楽ジャンル名より宇多田ヒカルという個人名の方が知名度が遥かに上だったのだ。故にそのあと数年間、例えヒカルがどんなサウンドに手を染めようとそれをR&Bと呼ぶ人が後を絶たなかった。R&Bの定義が「宇多田ヒカルのやっている音楽」になっていたからである。余談終わり。

で。そんな立ち位置を確立したミュージシャンの場合、普通は50歳を過ぎていたりするもんだ。だがヒカルはまだ37歳になろうとしている時点。体力的にまだまだここから攻め入れるというのがジョーシキ的な見解だろう。それこそ、M-1グランプリの決勝に出ていた連中と年齢的にはそう変わらないのだ。ここからギアを上げた活動をしてきても何ら不思議ではない。そこら辺を来年は期待したいというと贅沢が過ぎるしせわしいのもどうなのと思うので言わないけれど、21周年を迎えてもまだまだこれからどうなるかわからんよというのが心構えにはなっていくかもしんないね。