無意識日記々

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Kuma was, is, will be a gay ?

唐突だが、くまちゃんのゲイ設定はほんま秀逸やったなぁと。

というのも、「設定? なんのこと?」としらばっくれるのにひとつも支障が存在しないからだ。くまちゃんのこれまでの発言の中で、彼がずっと(生まれてこの方)ゲイであったとして、それと矛盾したものはひとつもない。「なに言ってんの、最初っからくまちゃんはゲイだったんだよ?」とヒカルが言っても、それが本音なのか後付けからくる演技なのか、こちらには判断がつかない。

いいや、ヒカル本人ですら、その区別はあやふやだったかもしれない。ある時ふと「くまちゃんの性的嗜好は?」と考えたとして(そもそもそれがレアケースな気がするがそれもまた愛の為せるワザ)、「あ、くまちゃんってゲイだったんだ!」という"気づき方"をしたとしても、何ら矛盾はない。後付けのヒカルの思いつきである場合と、ずっと事実そうだったがその事に気がつくまで時間がかかった場合の間に本質的な違いが見いだせないのだ。まさに、「5分前に世界が作られたとして、我々はそれを知る術が無い」レベルの命題になっている。

これに気付くとは恐ろしい。まさに無矛盾性の罠である。それまでの現実と事実に矛盾しなければ、どんな命題であろうと後から付け加える事が出来、しかもそれが最初っからあった事にしたとしても何ら問題はない。

これはこの話題になった時に必ず例として出すのだが、尾田栄一郎はこの「(修正)」がことのほか上手い。パッパグとしらほし姫の関係性を物語内で修正したのは見事だった。…何巻だっけ? さりげないが、つまり、設定に大事なのは整合性であり後付けかどうかではない。そして、それこそがまさに真実であり、区別する方法はない。アドリブすら伏線として回収した「直球表題ロボットアニメ」はその好例だがその話をし始めると長くなるのでカットするとして、何が言いたかったかといえば、くまちゃんがゲイであるのは間違いなく宇宙開闢からの真理・真実なのである。疑う余地が無い。ゲイなのになぜ女のヒカルにラブなのかって? 貴様ゲイが母親を愛していないと思ったら大間違いだぞこら。


で。私からも付け加えておきたい。そもそも、「ゲイ」というワード自体、"breakable"である。あクマでそれは、今までその人(或いはそのくま)が恋愛感情や性的情動を抱いた相手が同性ばかりであったというだけで、その人(そのくま)が5分後に生まれて初めて異性に恋をして「あら私バイだったの?」と新しく気付く可能性を排除するものではない。今までそうだったからこれからもそうである可能性が高い、という蓋然性の話題に過ぎない。更に確率は低いが、5分後以降の総ての人生異性にばかり興味を持ち同性に興味が無くなってしまう展開が待っていないとも限らない。人生わからない。

勿論、それは個々の人生における実感からは程遠いかもしれない。「そんな事はない。私が異性に恋するなんてあるはずがない。」という強い直感をもった人も居るだろう。「私が同性に恋するはずがない。」と感じている人に至っては大多数だ。しかし、私から言いたい。恋心なんて自分でコントロールできるものではない。誰を好きになるかなんて事前に選べない。もし仮に自分がそうなった時に自分自身を苦しめてしまうような信念なら、出来れば今のうちに捨てておいた方がいいかもしれない。もし捨てるのに抵抗があるのなら、まだまだこの世の中はゲイにとって生き難い世界であり、あなたもそれに加担しているかもしれない可能性も頭の片隅に残しておくべきだ。皆が素直に「自分は5分後から後一生ずっとゲイかもしれない。」と考えた時に「それはそれで。「別にいっか。」と思えるようになったとすれば、その社会に住む人々は自分たちを誇ってもいいように思う。苦しみは、それが誰のものであるかは、究極的には関係が無いのだから。