無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

喉奥に刺さった小骨をとってみた

前回のもどかしい、奥歯にものが挟まったような、苦虫を噛み潰したような話は、文章としてはつまらないが、気持ちがよぉくわかる内容だった。だよねぇだよねぇ。

私の本音は決まっているのね。つまり、ヒカルがマスメディアに関わって欲しくないんだろうな。もっと言えば売れなくてもいいじゃん、となるんだが、別にそこまでいかなくてもいい。吉田拓郎山下達郎みたいに、テレビに全く出なくてもコンサートが盛況な歌手は幾らか居た。ヒカルもそうなればいいじゃん、ということね。

それが「卑怯」なんだと、自分でわかっているから、前回あんな書き方しか出来なかったんだな。「自分はテレビでヒカルを知ったくせに。」と。

何度か書いているが、私がヒカルに惹かれたのはテレビに出て喋ってる姿を見たからだ。話し声と話し方がメチャメチャツボだったのである。それまで、歌を聴こうが写真を見ようが「素晴らしい作曲家・歌手だ」「母親譲りの美人だな」とは思っていてもそれで"人"に惹かれる事はなかった。それが、まんまるおめめをくりくりさせてケタケタ笑っているのを見てノックアウトされたのだから、あー私にとってヒカルはアイドルなのですかね。あー。

つまり、テレビってヒカルとの出会いを与えてくれた大恩人なのよ。それに対して「もう関わって欲しくない」と口に出すのは物凄く後ろめたい。確かに、「卑怯」だよねぇ。

そりゃあね、ヒカルがテレビに出たがりだったら違うのよ。カメラを向けられたら映りたがるような人だったらバンバンテレビに出ればいいさと思うさ。そうじゃないのよね。「ほっといてよ」ってのが本音だと思う。(どうだか)。

マスメディア、という言い方にはテレビ以外も含まれている。抽象的に言えば「無駄な好奇の総体」だ。マスメディアの情報に触れる人間は、大抵その情報に関心も興味もない。勝手に入ってくるからその都度ポジティブとは限らない感想が生まれてしまうのである。マスメディアがヒカルの情報を流さなくったって困るのは今や極少数となったインターネットに接続していない人たちだろう。その人たちに対するケアについてはまたの機会に考える(かな?どだろ??)として、黙ってればまた違うプッシュに対して興味なさげな、無関心な感想を生んでいくだけだ。そこに行かなければ大丈夫。これだけ有名になっちゃうと引き込まれちゃうんだけど。

プッシュされたものに反応しただけだから、無駄な好奇の総体は無責任な行動に出る。心なんて籠もってないから人を人だと思えない。ドラマの登場人物と同じように扱ってしまう。こらこら、生身の人間なんだよ。

そういう空間。

だからって、テレビで出会えた私が、これから至る所で起こり得る自分と同じな「テレビで見てヒカルのファンになった人」の可能性をゼロに潰せと言うのは、やっぱり、ナイよなぁ。

地上波テレビが衰退してくれればまた話は違うかもしれないが、代わりにインターネットメディアがその役割を担うだけだし、ここには人海戦術がある。一度び標的になったら炎上して人生強制シャットダウンだ。セーフモードでも再起動できるかどうかわからない。そんな事になるとわかってて、敢えて"目立つこと"をするのか。

そう、マスメディア、と書いてきたのだから、インターネットがマスメディア化すれば、それは大体テレビと同じ道を辿るだろう。大体、ね。

ヒカルはインターネットメディアを駆使して情報発信をしてきた先駆者だ。昔はメッセージの更新がスポーツ紙の記事になったりしたのである。今でもちょっとそうだけど。自らがメディアになる力を、インターネットは与えてくれた。

そこに何らかの"マスメディア"が登場するのだろうか。わからん。ちょっと違うものを想像しているが、大体同じだ。

ヒカルは、即ち、そのうち、インターネット上でも"勝負を強いられる"事になる。どうやってこれを切り抜けるか。テレビは出なければ終わりだが、インターネットは別だ。逃げられやしない。いやMaciphoneをオフラインにすりゃいいだけだけど、それって俺らからすりゃ引退だからね。

あぁ卑怯。

その心配は先の話。取り敢えずはテレビ新聞雑誌というテンミリオンスケールのメディアに対しての態度を早めにハッキリさせておいて欲しい。きっと今まで通り。皆が喜ぶからね。ならばそうする人だ。そんな人だから好きになったのなら、やっぱりどこまでももどかしい…。