無意識日記々

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年増の魅力

連日藤井聡太棋聖のニュースが紙面や誌面や画面を賑わしている。あたしゃ将棋の事はサッパリわからないがとにかく色々と「最年少」なようだ。

メディアは若いのが大好きだ。話題性があるからだろう。どうにもこう、やった仕事の価値より年齢の話ばかりになりがちである。本来最年少記録というのは「ここから更に成長出来る時間が他の人に比べて沢山ある」から価値があるものだ。故に、正論を言えば、その余計に使える時間を使って出した他の人には到達し得なかった成果の方こそが最も注目を集めるべきだ。だが、どうにもそうなっていない。将棋の詳しい内容は知らないが、20年後に藤井聡太が今よりよい将棋を指していたとしても報道量は激減してる可能性が高い。

もっとも、そういうのは噂話でお金を稼ぐマスメディアの話であって、実際の消費者の方は案外そうでもない。ポップミュージシャンのツアー実績をみても、どの時代であってもやはり年月を重ねたベテランが強い。人は高いお金を払う娯楽にはとても敏感なんだろうなと思わされる。連日メディアを賑わす若手より、ほとんど取り上げられないベテランの方が観客を呼んでいる。アイドル業界は例外だけどもね。

宇多田ヒカルも、そういったマスメディアの最年少好き若手好きの餌食になったクチだ。当時を知らない人でも、15歳でデビューして半年で史上最高売上に到達したときけばまぁ大体想像がつくだろう。困った事に、こと数字だけをみるとこの時がピークだったというのが事態を面倒臭いものにしている。

楽曲の評価についてはなかなか個々の趣味や時代性の影響を受けやすく一概に論じるのは難しいが、コンサートとなるとある程度の練度というものが見えてくる。上述のように興行となるとベテランが強いのは、ライブコンサートというものがアーティスト本人は勿論のことそれを支えるスタッフや聴衆たちもまた時間をかけて練度を上げる事で成熟していく性質を持つからだ。

宇多田ヒカルも、ライブDVDをみればわかると思うが、ライブ・コンサートの練度は毎回徐々に上がっている。しかし、悲しいかな本数が少な過ぎ、聴衆の練度がまだまだ小さい。いや、聴きに行くのに何か練習や備えが必要な訳ではない。聴衆という人間の集合全体が、宇多田ヒカルの公演という存在を認知し馴化する過程が現在迄では不十分という意味である。常に「チケットが手に入らなかった」と嘆く人を見続けているのは辛い。マスメディアとは無関係な場所でお金を払って公演を観に来る人達との関係を少しずつ築いていくことで、年を重ねて得られる順当な評価というものがヒカルにもやってきたらなと思うのでありました。ゆくゆくは、全くメディアを通さなくてもみんなのところにコンサートの情報とチケットが行き渡るようになればいいのにな。なんて、今の所は、夢物語に過ぎないのですがね……。