無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

孫に笑む孝行娘と好々爺

あ、季語がない。(笑)
まぁ、いいか。

あのグラサンで凄む長身痩躯のミスターウタダはどこへやら。(微笑)

ダヌパが2人に幸せを運んできてくれた。溺愛も宜なるかな

これはあれだ、とても幸せな音楽が生まれてくるって事でいいのかな。こういう時に思い出すのはイングヴェイ・マルムスティーンの一言。「晴れた日の午後、愛息が庭で元気いっぱいに遊んでいるのを幸せに眺めながら俺が作った曲はマイナーキーのヘヴィでダークでゴシックな曲だった。そういうものなんだ。」

確かに、ヒカルも、新婚で幸せいっぱいの筈だったのに既婚最初のリリースは切ない別れ話の“COLORS”だった。江戸川乱歩が昔「君、私が殺人事件の話ばかり書くからって毎日人を殺して回ってるとでも思うのかね?」と詰め寄ったそうだが(多分後世の作り話)、ヒカルも作詞家として創作の、フィクションの物語を書いてきているんだからそれはそれでいいはず、だったんだ。

しかしその後に離婚した事で“COLORS”が"Self Prophcy”な一曲と見做されるようになる。中川翔子が(しょこたんね)30歳になってから頻りに「どんどん現実が歌詞に追い付いていく」と話しているが、暗示なのか何なのか、実際に我々が歌詞が現実を先取っていると感じる瞬間が多々ある事は事実だ。

ならば、ここは思い切ってみてもよいのではないか。似合わないかもしれないが、未来への希望を歌ってみたりしてもいいんじゃないか。或いは、貴方の人生がいいものになりますようにという素直な祈りの歌でもいい。こちらならまだヒカルの芸風の範疇か。どんなに苦しい事があっても母ちゃんおめぇのために生きていってみせるぞみたいな歌でもいい。これはリアル母ちゃんの方の芸風かな?


まぁ、創作はヒカルのもの。好きにすればよいが、自分はこれが得意だからだとか、こういうのは苦手、こんなのは似合わない、と言う前にいちど試してみるのもいいかもしれない。もしかしたら、ダメ元で試してみる事で自分が変化していた事に気付けるかもしれない。可能性を限定しないで欲しい。その一言に尽きる。

とはいえ現実には納期・締切・デッドラインというものがあり、やっぱり得意な事を素直にぶつけた方がスムーズに作業が進むだろう事もまた事実である。なので、出来るだけ締切に追われていない、産休明けくらいのタイミングでささっと真っ直ぐアイデアを纏めてみて欲しいな。やってみてよん。

とはいえ、アイデアは一筋縄では出てこないし、一方で、得意な型からこそ出やすいというのもある。無理はし過ぎない事だ。なんだかエラソーだな今日の俺。どうした。

でも今暫くは、孫と戯れて目尻の下がっている照實さんに同調して、ヒカルの子育て奮闘記を遠くから眺めながら待っておく事にしますか。頑張れ、ひかる〜!