無意識日記々

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表現者として現況とどう向き合うか

https://www.daily.co.jp/gossip/2016/09/19/0009505450.shtml

最近検索が難しいねぇ。なかなか一次情報に辿り着けない。Google先生も少し考えた方がいいのかも。ということでスポーツ紙からの引用。日付はURL参照。

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歌手・宇多田ヒカル(33)が19日、テレビ朝日系「ミュージックステーション ウルトラFES 2016」に出演、12年の楽曲「桜流し」を披露した。

宇多田がMステに出演するのは約8年ぶり。事前に収録した司会のタモリとの対談では、東日本大震災の後に作った「桜流し」に込めた思いも明かした。「桜流し」は12年公開の映画「エヴァンゲリオン新劇場版:Q」の主題歌。「映画関係でお話が来て、書こうと思った時にどうしてもそこ(震災)に思いをはせて書き始めた曲ですね」と告白した。

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震災があった時にそれを考慮に入れて曲を書いたヒカルさん。さて、今感染症に脅かされている世界にインスパイアされた曲は書くのだろうか。書いているのだろうか。

感情を揺さぶられればそれについての歌を歌うというのは歌人の本能だ。ヒカルも例外ではない。それにより大きく作風が変化する事もあるかもしれない。

震災では地震津波が押し寄せて一気に人の命を万単位で奪っていったが、感染症は真綿で首を絞めるかの如く日々少しずつ人の命を奪っている。かなり様相が違う。そして恐らく、西洋人にとって震災は極東の異国の蜃気楼のような出来事だったのだろうが、感染症は直接の被害に遭っている。西洋で暮らすヒカルにとって感じる事は多岐に渡るだろう。『桜流し』とは全く別の曲になる可能性が強い。

2001年の同時多発テロの直後は『traveling』でファンに元気を与えたヒカルだが、今は元気に外に飛び出したりせずお家で静かに過ごしていてねというのが世界中の意志なのだ。そうパワフルでも居られまい。かといって、大きな悲しみに暮れるというのも少し違う。感染症で身近な人が亡くなるのは、2019年以前と変わっていないからだ。免疫が不十分な分、確率が少し上がっただけである。

それより、世界的には、閉塞感や恐怖感を蒙り過ぎた結果の疲弊等がメインテーマとなるだろう。こういうのはヒカルの流儀ではないのではないか。強烈な悲嘆や、絶望の中に一筋の光を見出したりといった歌は得意中の得意だが、恐怖や不安というのはAメロでさっくり通過してしまうのが今までの常なのだ。そこからの気づきを描くのが芸風なので。然るに、もし今の世界と向き合って歌を作ったのなら、今までのファンには受け容れられないような曲になるかもしれない。

それを避けるには、あっさり感染症を想起させる/テーマとする楽曲は書かないと最初に決めてしまうのもひとつの手だろう。だが現代を生きる表現者にそれが可能なのか。無理があるかもね。でもま、それもこれもヒカルが決める事だ。我々の希望はヒカル自身の心身の健康なのだから。未来の推移を見守ろう。