無意識日記々

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サラリとした優しさの源は

ミラクルひかるの現代ヒカル評」の回でヒカルのことを「昔より湿度が落ちた」と書いた。途切れなく追い掛けてる人は慣れてて余り意識してないけれど、確かにここは昔とかなり変わっている点かと思う。

湿度というのは、情感とか情念とか?もっといえば言葉や息遣いの粘度の感触かな、周りの人間や、ファンやリスナーとの精神的な繋がりが如何にも情緒的で、故に不安定さもいつもあって、お互いがねちっこく繋がり合って支え合ってるような状況だった、ような。そんな感覚。

それが、パイセンと呼ばれ始めた…というかオフィシャルがそう呼び始めたのだけども、その頃からファンに対しての距離の取り方が安定してきているように思う。それは、人生の先輩として教え諭すポジションになれた事で、本来持っている洞察の鋭さや深さを遺憾なく衒い無く発揮し表現できるようになったという事だろう。

安直に言えば、どんなに優れた助言でも15歳の小娘に言われたらなぁとどこかで思われてしまっていたんじゃないかと。それが無くなったお陰で今「おさまるべき所におさまりつつある」のかなと。ヒカルさんが無理しなくてよくなったというか、ややこしい気遣いなしに自分らしく振る舞えるようになったというか。

その為、昔よりシンプルに「自分に出来ること」に集中して事を為してるなと。昔なら、それこそ『気分じゃないの(Not In The Mood)』で「今夜シェルターに泊まる金が無い」という人に会った状況なら「まぁお気の毒に! 外は寒いよ?暖かいスープでも飲む?」(日本語で書いたけどイメージとしては英語で言ってる)と気遣いや優しさ全開で寄り添いに来てたんじゃないかと思うけど、今は大人になったというか、スッとお札を出して「自分に今できることはこれくらい」というスタンスをしっかりと保っている。でも、人としての優しさは隠せない。何しろこれ実話だからね。

こういうのも「大人になった」と言っていいのかな。希望や願望や展望や理想を語る事が多かった(「皆がこんな風になれば世の中きっとよくなる」的なヤツ)のが、もっと落ち着いた発言に寄っているような。

とはいっても、その性質や方向性が変わっているかというとそんなことはなくってね。最近作のタイトルトラックのサビが『わかんないけど君のこと絶対守りたい』なんだからね。ヒカルはずっとこういう人だ。ただ、これは欲望や希望や願望というよりは、「そうする」ことの決意表明であって、地に足がついてるなと。昔との説得力の差はそういったニュアンスが効いてる。

だから、ミラクルひかるさんは、

「やっぱり宇多田ファンって、ちょっと病みやすい人が多い気がするんです。きっとファン同士でも病みあっていたい、みたいな。だからこそ、本人にも過剰に期待しちゃう。」

https://www.cyzo.com/2023/02/post_335901_entry_3.html

って言ってたんだけど、もうそこに留まらないように思えるのよ。勿論病んだファンも今まで通りがっつりハートを掴まれ続けるとして、もっとそうでもない、特に悩んでもいない普通に生きてる人(だなんて存在自体フィクションかもしれないけど)にも刺さったり響いたりするような活動になっていくんじゃねーかなと。過剰な期待に過剰に応えようとはせずに、普通に応えてくれるようなそんな、ドライじゃないけどサラリとした距離感が心地好い、そんな関係が出来ていく気がしてるのです。

ま、いちばん大きいのは子育てのスタイルを確立してることだろね。ヒカルさん、子に依存してる雰囲気が全くない。2人で暮らしててこれは驚異的よ。その感覚が、うちらに対するときにも活かされてるんじゃないかな。仕事復帰から何から、ほんにダヌくん様々ですわさ。