無意識日記々

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作詞の秋?

秋は作詞の時間、でもないか。

この季節になるとヒカルの作詞を思い出す。単にそういうメッセが過去に幾つかあった、というだけの事なんだが。

13年前の2002年はCOLORSの作詞の真っ最中。翌年2003年の1月末に発売だった事を考えると、まぁそんなものかな。なかにはレコーディング当日までスタジオで推敲していたケースもあるんだとか。実際に歌ってみて「これは違うな」となる事もあるのかもしれない。そこらへんは、シンガーソングライターの利点を活かした制作方法だろう。お陰できっと、ブックレットに掲載する歌詞原稿もギリギリまで待って貰う訳で、印刷が間に合うかの攻防も、あるのかもしれない。レコーディングの方は最終収録が終わった後もミキシングとマスタリングがあるので、もうちょい待つ事になるんだろうが、

…ちょうど今頃そんな事してたらいいな、と思ってしまうのは人情、かな。だとすれば明けて1月には新しい曲が聴けて…と皮算用で鬼大爆笑だわ。気が早い、気が早い。

そのCOLORSのシングルB面(カップリング)は、Simple And Cleanだった。英語が絡んでくるとメロディーの方まで変えてくる、という実例は、ちょっと大袈裟な言い方だけど"衝撃的"だった。つまり、局面によってはメロディーより歌詞を優先する、という。作詞作曲両方を同時に手掛ける人ならでは、だ。

今、どの言語で作詞をしているのかは、明らかになっていないが、それによって音楽が、メロディーの質が変わる事が期待される。イタリア語なんかねぇ。例えばヒカルが英語でのセルフカバーに乗り出したら、どの曲もまるっきり別のメロディーになっている事もありえる。それはそれで楽しいけど。

斯様に、制作の全プロセスに影響を与える詞、作詞。ヒカルの制作はパズル、或いはピタゴラスイッチのようなものだから、こちらを変えればあちらも変えて、という案配になるだろう。あの、FL15DX冊子に載っていた半分落書きみたいな文字の数々が後々の皆の運命を決める。話の始まりは、そこなのだろう。