無意識日記々

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メロディーを吹き替えるように書き換える

前回引用したように、ヒカルの観た「リトル・マーメイド」は英語版で(6歳当時ニューヨークに住んでたから当然なんだけどね)、日本語吹き替え版は20年近く経ってからの体験だったようだが、自分の勝手な感触では、ヒカルの場合、日本語での作詞にこそ、ミュージカルの影響が強いのではないかと考えている。

というのは、そう、『光』&『Simple And Clean』などのように、同じ曲でありながら日本語の時と英語の時でメロディを変えてくるというパターンがあるじゃないですか。当時、宇多田ヒカルといえば歌詞よりまず先に曲を書くタイプだと認知されていたし、実際まるっきり歌詞を先に書いた最初は、デビューしてから5年以上経った2004年の『誰かの願いが叶うころ』だったのではないかと思われるのだけれど、それ以前の2002~2003年の『光』&『Simple And Clean』の時点でその“柔軟な対応”をみせられたときに、結構吃驚した記憶があるのですよ。

それもこれも、ミュージカルにルーツがあるのだと考えれば合点がいくんだな。ミュージカルでは、同じメロディが幾つもの場面に登場し、当然ながら場面ごとに歌う歌詞もよく変わるので、その都度歌詞に合わせてメロディを変えるのも常なのだ。そこらへんは「リトル・マーメイド」でも変わらない。ヒカルがまず最初にココで歌詞とメロディーのバランスを学んだのなら、先にメロディーが確固として存在していたとしても、歌詞や台詞に合わせて後からメロディーの方を変える事に心理的抵抗がなかったのも肯ける。そういった技法を最初に本格的に披露したのが「リトル・マーメイド」と同じくディズニーが参加している「キングダムハーツ」の、その主題歌たる『光』&『Simple And Clean』だったというのも、今から考えると御縁があったというか何というか。ヒカルの感覚では、同じ曲を、英語と日本語でそれぞれ作詞するというのは、ミュージカルの吹き替え版を制作するのに近い感覚だったのかもしれない。余りそのようにヒカルがインタビューで答えていた記憶は(私には)ないので、もしかしたらヒカルもそこらへんは無自覚だったのかもしれないな。こうやって後から眺めてみて合点がいくというのも、長くリスナーをやっているからこそ見出せる楽しみの一つだ。新曲の『君に夢中』にその「リトル・マーメイド」の旋律を引用してくれた事が、こんな合点にまで発展するとはそりゃあ思わなかったさねぇ?