無意識日記々

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キミ、このナンバー知ってる?

マイナンバー制度が話題になってるからってFYIのカバーまで引っ張り出されたら嫌だな…と余計な事を考えつつ。(『…You know my number〜♪』)

しかし、なかなかよいカバーを聴くと「Utadaのナンバーでも宇多田ヒカルのうたアルバムやってくんねーかな」だなんてついつい考えてしまう。「Utada Songs」みたいなタイトルになるだろうか。

しかし、曲のクォリティーは遜色ないとはいえ、Utadaの歌には圧倒的に「物語」が足りない。こういう企画は、いい曲が揃っているからといって成立する訳ではないのだ。

宇多田ヒカルのうた」アルバムには、様々な物語があった。リーダートラックとして配信された事からもわかるように、浜崎あゆみ宇多田ヒカルの歌を歌うというそれだけで既にトピックだった。あの時代を彩った二大歌姫がここに来て交わるという。昔を知る人なら僅かでも「おぉ」となった筈だ。

他にも、凄まじいマニアックぶりを見せつけた加藤ミリヤや、影響を受けた次世代からの返答として模範回答を見せてくれたtofubeatsにミリオンセラーの大先輩である井上陽水からのリスペクトなど、語れる要素が沢山あった。その中でだから例えば岡村靖幸の「いや俺そこまで思い入れないんだ、いい曲だとは思うけどさ。」という"物語の無さ"もまた光った。ヒカルが16年かけて様々な人に様々な局面で影響を与えてきたからこその企画だったといえる。

Utada Songs」を企画したとしても、そこまで語られる要素が無い。ただ音楽的な興味だけで楽しんでしまう私のような人間は少数派だろう。ただオリジナルのよさを再確認させるだけの企画になってしまう可能性が高い。

しかしながら、もしかしたら海外から、Simple And CleanとSanctuaryに関しては、思い入れタップリに語れる次世代のミュージシャンが現れているかもしれない。ゲーム侮るまじである。こどもは小さければ小さいほど大きく影響を受ける。まだ15年も経ってはいないけれど、もうそろそろSanctuaryを感動して聴いて育った人たちがプロになってもいい頃だ。彼らによるカバーなら、聴いてみる価値はあるかもしれない。

物語の無さは、しかし、寧ろカバーによって新しい物語が作られるチャンスを内包しているといえる。平たく言えばオリジナルよりカバーが売れて曲が有名になるケースだ。今自分の脳裏に浮かんだのはホイットニー・ヒューストンの“I will always love you”だが、あそこまで極端(Bodyguardのサントラはアメリカ売上歴代十傑に入ってた事がある)でなくても、知名度で凌駕してしまい、「あれってUtadaの歌だったんだ」と冗談とも洒落ともつかない一言を投げかけられるかもしれない。痛し痒しというか、そういうケースも有り得るからには、物語の無さもまたメリットたりえるのである。

世代が変わり時代が変わり地域が変わる。すると昔のどこかの曲が受け入れられる。それがあるから、カバーやリメイクは止められない。ヒカルが興味を持つ分野とはいえないにしても、ファンからすれば、曲のよさを認めてもらって溜飲を下げつつ「やっと今頃気付いたのか」とイヤミの一つも言う娯楽を味わうのは、趣味がいいとはいえないにしろ、そんなに悪い事ではなさそうだ。勿論、リリースしたその時に大ヒットしちゃうのがいちばんいいんだけどねー。