無意識日記々

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情報の海から上がった岸辺より

インターネットのお陰で、情報はほぼタダで手に入るようになったが、今度はその取捨選択が大変になった。これが悩みという人も多かろう。私も悩んでいる。解決策は無い。

昔は、字を読むといえば読書だったり新聞雑誌だったり、お金がかかったものだ。図書館だけが例外だった。ここらへんおかしなもので、映像はテレビから、音楽はラジオからタダで幾らでも流れてきていたのに、字は違った訳だ、昔は。

テレビもラジオも、多くても十もない位のチャンネルしかなかったからチャラチャラザッピングする程度だった。新聞だって二紙以上定期購読する人は少なかった。情報を得るのにそんな取捨選択は悩まなかった。

今、そうだな、例えばTwitterでフォローしてる人のツイートを全部チェックしている人はどれくらい居るだろう。私は読んでない。まぁ無理。兎に角、「読む」という行為は破綻している。読書もままならない。

ネットで何かを読もうとしたら99%の無意味なノイズを如何に除去するかに神経をすり減らす。これも無駄あれも無駄。読んで損する情報ばかりである。よくもまぁこれだけ文字が氾濫しているものだ。

大抵、皆疲れて、固定化された人の文章しか読まなくなり、思考が偏ってくる。確かに、昔は一紙しか新聞をとってなかったから思想的な話はその社のものしか知らなかったが、今は各紙を比較出来るようになった、というポジティブな見方も出来るが、私から見れば毛色の違う偏った考え方があっちこっちに増えただけで、その中でバランスをとってもただ新しい偏りを生むだけにしか見えない。全く違う場所に立つ必要がある。


ヒカルは沢山の情報の中から最もバランスのとれた場所を即座に見つける天才である。そして、その位置からそれぞれの偏りに対して好ましい射影を与える術に長けている。毎度取り上げているGoodbye HappinessやCan't Wait 'Til Christmasの歌詞なんかがそうだ。出会えば喧嘩になりそうな同士がそれぞれ全く反対の理由で同じ歌を好きになれる。奇跡というのは容易いが、これが技巧の妙というものだろう。

嗚呼、昔NHKでやっていた「クイズ面白ゼミナール」という番組を思い出した。ハテナ・マークをあしらったトロフィーが用意されていたのだが、いちばん大きなサイズのヤツは「どこから見てもハテナ・マーク」という技巧的なデザインだったな。閑話休題

ヒカルのSC2D2からもう5年以上が経つ。世の中は益々新しい偏りが生まれ、極端に走り、不安はいっこうに消えない。たとえヒカルが「本当にバランスのとれた態度」を見せられたとしても、誰にも響かない可能性がある。それでも歌ってくれるのだろうか。今回の復帰でいちばんのチャレンジはそこなんじゃないかと思うのだがどうだろうか。情報の海から岸辺に上がった事のある人の強みを、見てみたいものである。