無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

#裸婦抱かない 強引に一休み

ツアーの余韻に浸る間もなく次なる新情報に翻弄されて。今朝は取り敢えず落ち着こうと情報を整理し始めてみたのだけど…これも要らないというか、らしくない気がしてきたなぁ。いや、らしくなかろつがのちほどちゃんと纏めますけどね。

ツアーが無事終わって嬉しくない訳がないし、新音源解禁などは私の場合完全に生き甲斐の域だ。RIAの方に向けて感謝の祈祷と舞踏を奉納するのが本当だろう。でもやっぱり過剰だなぁ。

ヲタクだから、かどうかはわからないが、私基本的にご飯を残さずに生きてるのね。たとえお腹がいっぱいで苦しくても、既に用意されているものは必ず完食を目指す。好き嫌いも殆どないし(ゼロではないのだよな)、苦しかろうが意地でも食べる。流石にもう歳を取ったので自分が食べきれない量を用意する事はなくなっているのだけど。

そんな性格なので、情報解禁となれば基本クマなく総ての情報をチェックしたいと思ってしまう。別に自分で用意したものではないのだから(当たり前だ)量が多すぎて食べきれない、或いは食べても消化不良、とかそんな感じになるのも当然なのだ。

ここでちゃんと考えないといけない。自分にとって適量の情報はどれ位なのか、を。食べ過ぎず、お腹空き過ぎずの分量を、自分で自分の食事を用意するかのように、与えられた情報の量や密度を自分にとっていい配分・案配・加減になるように取捨選択しないといけない。

その取捨選択の方法となると…結局自分は、自分で「書き出してみる」に限る、という在り来たりな結論になる。その日自分の手で書けなかった事については頓着しない。書けない位に忙しくて優先順位が低いならまた後日で全然OKだ。書くとは選択である。毎瞬々々、無限の可能性の中からたった一字を選んで綴るのだからそこに自分の価値観を理解できる可能性を見出す事ができる。つまり、その結果がこの日記なのです私の場合。


殆どの読者にとっては本当につまらない話だ。しかし、こういう事を考えて生きているからこの日記は何千回と続ける事が出来ているのだ。ヒカルへの愛は原動力だが、それだけではこんな事にはならない。みんなヒカルを愛しているけれど、こんな事になってる人他に知らないものね。それが個性、なんでしょう。愛し方、愛の表現は一期一会十人十色千差万別臆することなく絶えず挑戦、なんですよ。

なので、#裸婦抱く の話も新情報&新曲解禁についても、この日記のペースに合わせて繙いていきますよ。今更なんですが、そう書きたくなったので、書きました。私にとっては、とても大事な時間なのです。