無意識日記々

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寝ても起きても閉じれない耳の話

そういえば耳(と鼻)には“まぶた”がないんだな。

小さい頃から私の集中力の無さは尋常ではない。音楽で、フルアルバム一時間を一度も記憶が飛ばずに聴き切るなんて事はまず皆無だった。大抵どこかで寝ていたり他の事を考えていたり。いやまぁ、この無意識日記ですら一エントリー30分で書く間に6,7回寝落ちしてるんだから、何ていうか、ほんまよう寝るよな手前は。

これ、何がタチが悪いって、どこらへんからどこらへんまで聴いていなかったかよくわからない事だ。対比として、暗い部屋で映画を見ていて寝落ちする事を考えたら…あの、周りから「今寝てたでしょ!?」と突っ込まれて慌てて「ね、寝てなんかいないからなっ!」と強がりで返すあのくだりだ、確かに、何が違うって、寝落ちしたらまぶたを閉じるのだ。

翻って、音楽を聴いている時は寧ろ目を閉じて集中したりもするので、目の開閉は起きてるかどうかの基準にならない。即ち、その時音楽を聴いていたかどうか、外からは判別できない。映画だったら、例え寝ていなくても、まぶたを閉じたら絶対に見ていない。見えないんだから。この違いったら。

音に対しては切れ目や境目というものが、無いようだ。

今のは時間軸上の話(いつからいつまで音楽を聴いていたか、いつ映画を観ていたりいなかったりしたか)だが、空間軸でもこれは言える。音は全方位から聞こえてくる。360°というか4π(立体角…ってマイナーだよねぇ…)から、だ。対して視覚には視界というものがある。小さい頃“視界の端”を見てやろうとして悪戦苦闘した覚えがあるが(暇だったんだろうなぁ…)、確かに境界線自体はあやふやだが、「完全に見えていない領域」は絶対に存在する。例えば真後ろだ。

ここらへんの特徴をしっかり拾い上げると面白い。視覚は二次元の情報で、しかも色分布という波長情報も含む。三次元の情報で、それが時間軸上で変化する。それを両目で見る事で更に擬似三次元を構成できるのだから合計五次元ともいえる。

音は、ある時間の振幅の強さだ。二次元である。これがステレオになると左右の位置情報が擬似的に生成されるので三次元にはなるが、五次元には遠く及ばない。視覚よりずっと情報が少ない。文字通り次元が低い。

だが、音は、原理的には世界中の総ての情報を一瞬々々手に入れる事が出来る。発音源の音量が十分に大きければ、或いは、こちらの耳やマイクロフォンの感度が十分に高ければ。どこかで鳴れば必ず届く。

しかし、目は、光は、そちらを見ないと届かない。もし後頭部の真後ろにずぅっとヒカルの写真があったとしても、私はそちらを向くという発想がなければ、見ようともしない。視覚は常に世界を有限に切り取り、個にとって恣意的であり続ける。

故に、何だろう、本来なら、音の方が普遍的で、光は個別的な存在なのだ。私とあなたが1mずれた所で聴く音楽は、必ず1m分しかずれないし、大抵の場合大体同じ音を聴く。しかし、私とあなたがたとえ抱き合ってほぼ同じ位置に居たとしても、見ている景色はまるで違う。私が泥を見てあなたは星を見ているかもしれない。本当に個別である。

斯様に、音と光はまるで違う。異なる。世界の中心で響く音と、各自が切り取る視界と。なのに宇宙で最高の音を出せる人の名が『光』だというのだから、いやはや、誰の企んだ奇跡なのだろう。光と音。私の一生のテーマである。