無意識日記々

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ご成長ありがとうございましたか

ヒカルの成長、って言葉がそろそろ似合わないかな、もう33歳だもんな…って余計なお世話だ、によって引き起こされたネガティブな要素として「歌詞の載せ方が上手くなり過ぎた事」がある。

コレは何度か議論してきた。初期はなかなか日本語に慣れず、かなり強引な手法で音符に言葉を載せていたのだが、これが新世代の斬新な手法として持て囃された。『な・なかいめのべ・るでじゅわ』とかな。勿論それは、既にその時点でメロディーの流れとグルーヴを維持しながら如何に意味の通る文章を作るかというチャレンジの成果のひとつであって、他の追随を許さない高いレベルにあったから持て囃すのは当然というか義務ですらあったのだが、ネガティブな要素というのは、ヒカルがそこから更に成長してしまった事だ。

歌詞はより自然な言葉の流れに近くなり、奇を衒った言葉遣いは見られなくなっていった。これは、メロディーの流れとリズムの制約と日本語の自然な文章の構築という互いに非常に遠い所にあるもの同士を結び付けるという至難の離れ業なのだが、お陰で出てくる歌は話し言葉をそのまま歌詞にしたように思えてしまって、リスナーに何の驚きも与えなくなった。それは少し言い過ぎにしてもヒカルの作詞術が話題になる機会が減っていったのは事実であろう。

その頂点は、現時点では桜流しである。異常。何故総てがあそこまで美しいのか。Paul Carter@thisisbenbrickは何をしたんだ、と問い掛けたくなる。数々の音韻とメッセージ性と音楽の美が凝縮されている。しかし、それについて必要なだけ語った人間が私以外に何人居たのか。いや、私は必要なだけも語れていない。即ちこの世に0人かもしれない。ここまで報われない才能も珍しい。臍を曲げて復帰をやっぱりやんぺしたとしても仕方がないほどにな。

ヒカルはそんなこと言わない。

ただ、現実問題として、ヒカルの作詞能力がまた話題になる可能性は低い。何より、あんなメロディーを書ける人が居ないから、そういう作詞能力が必要になる局面を迎えられる機会が皆無なのである。嗚呼、どこまでも孤高の人、ヒカル。

ライバルが欲しい。切実に。

ネガティブと言っても、歌を気に入ってくれさえすればそれでよい。理屈をこねる必要も無い。寧ろ、料理の隠し味についてシェフを厨房から呼び出して質問攻めして問い詰めるよりは、ただ「美味しい」と言ってくれる方がずっとよい。そう考えられるなら、さほどのネガティブでもない。

極められた巧みと築きは、自然と見分けがつかない。"極度に洗練された科学技術は魔法と区別がつかない"の反対かもしれない。それならそれでいい。ただ、理屈は捏ねるな。それは間違っている。この途方もない熟練をそうそう簡単にわかってくれるなよ、と厄介古参の典型みたいなセリフも吐いてみたくなるってもんだ。やれやれだぜ。

果ては恐らく、ジョン・レノンボブ・ディランだろうから(すまん、女子では思いつかなかった)、のちのちそうなるならそうなったでよろしいと思われます。その頃には、また更にもう一周まわってヒカルの作詞力を賞賛する声も復活しているかもしれない。ふむ、悪くない。我々に出来る事といえば、「今度の歌、歌詞がよかった。次も期待している。」と言い続ける事くらい。でもまぁ、それで十分ではありませんか、同志諸君。