無意識日記々

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絡まって解けない知恵の輪状態

昔ヒカルの歌声、特に低音部をを「チェロのように豊かな響き」だと形容した事があったが、楽器によって奏でるべき旋律が変化するように、歌声の質によっても適切な旋律は変わってくる。そうである以上、そして、ヒカルが自分で歌う事を前提に作詞作編曲を行っている以上、その歌声は遡及的に創作過程に影響を及ぼす。

要するに声に合ったメロディーをいつの間にか選択しているという話だが、これは歌の場合、作詞にも及んでくる。"光"と"Simple and Clean"のサビを比較した時、単純に日本語のそれより英語の歌の方が音が低い。

ここでもまた違った角度からのアプローチが必要となる。歌詞の内容だ。"光"の方が『どんな時だってずっと二人で』と前向きな歌詞であるのに較べ、"Simple And Clean"では『When you walk away』である。「あなたが立ち去る時に私の声は届かない。どうか行かないで。』だ。仮定の話とはいえ寧ろ悲しいトーンである。音程の高低の原因は、実はこの内容のトーンの明暗から来ているのかもしれない。

実際、"嘘みたいなI Love You"では同じメロディーで日本語の歌詞を歌っていてしかも内容は『感動的に終わるストーリー』である。ハッピーエンドだ。こんなに前向きな歌詞もない。メロディーが甘過ぎるってんでバランスをとるためにアレンジはデジタルロックになった程。

さぁわからない。何が原因で何が狙いで何にどう落ち着いたのか。書いてる方がわかってないんだから読んでる方はもっとわからない。すいません。

ただ、整理しておきたいのは、今新しく持ち出した論点は「英語の発音の方が低音の響きをより"含んでいる"」とか「日本語には低音の響きが少ない」とかいった、言わば倍音成分の話であって、それが即音程の高低に結びつく話ではないという事だ。これは、サウンド全体のバランスの中で考えるべき事で、それに加えて、ヒカルの歌声や、メロディーの質や、歌詞の内容など、幾つものレベルとサイドから問題が吹き上がってくる、というのが問題なのだ。

今更やけど、ようこんなんで一曲仕上げてくるもんやな。おっちゃんアタマこんがらがって何が何だかわからんようになってるっちゅうのに。アルバムとなるとこれが12曲とかやで。頭痛いわホンマ。

そんななので、ヒカルが例え近い未来、もしかしたら今、創作過程で行き詰まっていたとしても「そんなん、こんなことずっとしてたらそうなるわなぁ」と生暖かく見守ってあげるのがファンの務めなのだと思う次第でありますですよ、えぇ。