無意識日記々

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この歌を笑顔で迎えたいから

『Play A Love Song』の魅力とは何か。言い換えるなら、この歌を聴く前と聴いた後、知る前と知った後で何が変わるのか。

歌詞は、ラブソングの形をとった「ヒカルからリスナーへのメッセージ」だ。要約するなら「楽しく歌を唄おう」に尽きるかな。もっと言えば「聴いて歌って楽しい歌」だ。

いちばんのフックラインは…どれも甲乙つけ難いが、やはりサビ終わりのタイトルコール『Can we play a, can we play a love song ?』の一節か。リズムに乗せて誘いかけるような、外向きで前向きなメロディーが聴き手の心を前に前に動かす。この歌を聴くと、聴いた前より前向きになれる。ポジティブなラブソングだ。

勿論他にもフックラインは満載だ。SUNTORYのCMで流れる『長い冬が終わる瞬間』の一節はこの歌を代表するメロディーだろう。誰かに「宇多田の『Play A Love Song』って曲知ってる?」と訊いた時に「知ってる知ってる、『なーがいーふゆーがおーわるしゅんーかんー♪』って歌でしょ?」と言われる可能性が最も高い事からも、鍵になるラインだ。

この歌詞がCMのロケ中に生まれてそのまま予定外な撮影に突入した、というエピソードも今後もこの歌に関する鉄板エピソードになるだろう。あんな冬真っ盛りな銀世界の中で思いついた歌詞が『冬が終わる』だったところがヒカルらしい。もしかしたら、そろそろ寒さに辟易して帰りたくなった気持ちを歌ったものなのかもしれない(笑)。いや、それは比較的どうだっていいんだ。ん?『どうだってよくはない』? 肝心なのは、プロセスがどうであれヒカルがガッチリとフックラインをひっつかんで曲に取り入れられた事なのだから。

ただ…若干気になるのが、これを即座にCM撮影してしまった事でその後『Play A Love Song』を完成に至らしめるまでこの部分の歌詞が一切変更できなかったのではないか?という点だ。なぜここが気になるかといえば、直後の『笑顔で迎えたいから』の『笑顔で』の歌詞の乗り方がやや不自然だからだ。

いやね、『七回目のベルでじゅわ』の頃から宇多田ヒカルの歌詞は「日本語の音韻に囚われない自由な作詞術」こそが個性であり長所だった、というのはわかりすぎる位にわかりきってんだけども、もしかしたらここは最後まで「ベターな歌詞」までしか出てこなかったんじゃないかなーと思ってな。あそこのリズムで『笑顔で』と歌われても、最初「え?今なんつった?」と聞き取れなかったものだから。ヒカルはいつもベストな仕上げをみせるプロ中のプロではあるが、かつて自ら(私が思う)史上最高のJ-popソングである『Goodbye Happiness』にすら作詞に不満があったと正直に言ってしまった事もある。今回のこれも後々触れるかもしれない事だ。

しかし、不自然さを残してまでこだわったこの箇所のメロディーが素晴らしい。いや、だからこそこだわったのだ。『長い冬が終わる瞬間笑顔で迎えたいから意地張っても寒いだけさ』の一連のメロディーのもたらす美的エクスタシーたるや筆舌に尽くし難い。歌詞を妥協してもメロディーに妥協しなかったヒカルの判断は間違っていなかったと言える。2018年を代表する美旋律だよ。