無意識日記々

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セカンド・チャンス

4月から「とと姐さん」、じゃないや、「とと姉ちゃん」が始まったら、このブログも毎日ドラマの感想を書いていく恐れがあるな。毎日やっとるもんねぇ。土曜日まで更新したりして。それ位に面白ければよいんだが。

実際、156回は半端ではない。週刊連載漫画だとすると丸三年余り、月刊漫画だと十三年である。隔月刊だと二十六年、季刊だと三十九年か。それはまぁ半分冗談だとしても分量の多さ自体は実感して貰えるのではないか。

毎日、というのは感情移入にはもってこいで、そのうち歩を合わせて人生を歩んでいるような気分になってくる。勿論内容が合わなかったら見なくなっていくんだけど、時間帯が時間帯なだけに「とりあえずテレビはつけとく」人は多そうだ。

「最強のヘビー・ローテーション」とは書いたものの、印象に残らない歌は何度流れても印象に残らない、とも言える。チャンスではあるが、掴み切れるかどうかはやっぱり曲次第だ。つまらなかったら文字通り流されるだけ。オープニングはスルーする、というのが習慣になってしまえばまたそれはそれで大変に危険である。ラジオで流れているのに出くわしても「ああ、いつものヤツね」で済まされてしまうかもわからない。

ただし、そんな人であってもラジオからいつもの聴き慣れたフレーズに続いて二番の歌詞が歌われ始めるとハッとする。聴き慣れきったメロディーに聴いた事のない歌詞が載っている。意外性も含めて新鮮さは割増となる。ほぉ、こんな歌だったのかとなる事は多い。アニソンじゃありがちというか鉄板ネタなんだが。

だから、いつも以上に朝ドラの主題歌というのは二番の歌詞に工夫し甲斐があるという訳だ。どうやって一番で築き上げた世界を推し進めるか、或いは、崩すか。叙述トリックにまではいかなくとも、作詞家としての本音は二番以降の歌詞で表現する、位の極端さはアリかもしれない。

かといって、やりすぎるのもなぁ。少し格好が悪い。ドラマの主題歌だからって、とも思われる。バランスが難しい。

勿論、徹底する手もある。劇中で流してもらう事まで踏まえて二番の歌詞を書いておく、なんてのもまた悪くない。でも大体こういうのって、あとからスタッフが気づいて、「この展開なら、二番の歌詞がぴったりだ」と当てはめるのが実情だったりして、予め用意しておけるもんでもなかったり。シュタインズ・ゲートじゃそのプラン出したの声優さんだったしな。

まぁ、なので、工夫し過ぎる事なく自然体で歌詞は書いておけばいい、のかな。仕掛けにばかりかまけていても心に響く歌は歌えないし、一方で言語には構造がある事も事実。そこらへんをうまく梶とり、違うって(笑)、舵取りしていくのは、Hikki船長の得意とするところでありますな。