無意識日記々

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流行りに逸るは遣る瀬無きかな

アレンジが雑、というのは結構言い過ぎだが、スターゲイトやトリッキー・スチュワートに対してHikaruのアレンジが相対的に緻密である、という言い方も出来る。

彼らは流行に敏感で、今でもヒット曲をしっかり出している。常にサウンド・メイキングの新しい手法を身に付け続け、そのレシピは増える一方だ。従って、「こういうサウンドにしよう」と方向性が決まってしまえばそこからの仕事は早い、と想像できる。

一方のHikaruは、流行を知らない訳ではないだろうがそれを第一義には考えていない。どちらかといえば、イチからサウンドを自分で組み上げていくのを得意としている。となると、極端な言い方をすればそれは今流行の最先端で煌めいているようなサウンドとは程遠い、どちらかといえばいなたさや手作り感すらある造りになったりもする。しかし、だからこそオリジナリティは段違いだ。既存の何かを援用せずに総てセルフメイキングするので時間はかかるし時流からも外れるのだが、勿論今聴いても新鮮だ。例えば今“Animato”を聴いても「如何にも2004年頃のサウンドだなぁ」とは、ならない。一方で、比較対照を見つけるのがなかなか難しいという意味において、如何にもHikaruらしいサウンドであるとはいえる。

Popular Musicにおいてはそれが正解とは必ずしも言えない、という反省からThis Is The Oneでは流行を知っているトラック・メイカーを迎えた訳だが、あれからもう7年が経つ。今、Hikaruがどちらを向いてトラック・メイキングをしているかなんて全くわからない。ここまで何の情報もないのだから。

好都合な事に、と言っていいのかどうかはわからないが、邦楽市場に関していえば、「今流行の音」みたいなもんがない。勿論作り手側に言わせれば細かい話は色々出てくるだろうが、リスナーが「今こういう音が流行ってんだよね」と言える音はない。日本国内に限って言えば、ひたすらヒカルはヒカルのサウンドを追究すれば済む。好きなだけの分量、今欧米で流行っているサウンドを取り入れて識者を唸らせればよい。一般のリスナーはそんな事気にしない。

一方で、日本語で歌ってようと英語で歌っていようと、アジア諸国をはじめとした日本以外の市場というものがUtada Hikaruには存在する。それを今年、今、アルバム制作の局面においてどの程度意識しているかもポイントである。国によっては、自国の歌手よりインターナショナル系の歌手の方が注目されたりするかもしれない。そうなった時にHikaruのサウンドが欧米の流行に色目を使っていないとすると「なんか違う」と若いリスナーから言われてしまうかもしれない。ここらへんはHikaruの各市場でのポジション取りによる。ビョークみたいに「あいつはあそこでああいう歌を歌うヤツだ」みたいに思われていたらもう好き勝手出来るんだが、どうだろうな。

でもひとまず、日本だ。新しいレコード会社での発言力も、まずは日本で売れてから身に付くものだろう。我が儘を言う必要はないが、いざという時の自由の為には、売れておいて損はない。ただ、今の日本の問題は「セルアウト」が不可能な事だ…という話からまた次回、かな。