前回と前々回の話は歌詞についての論ではない。曲を聴いたときのフィーリングに関して綴ったつもり。確かに、『先読みのし過ぎなんて意味の無いことは止めて今日は美味しいものを食べようよ』なんかはヒカルが実際に言ってそうだけど、そういうことだけでもない。あの光り輝く曲調が如何にもヒカルっぽいのだ。
でそのヒカルらしさというのも年月を経て随分と落ち着いてきていて、今の自分には『誰にも言わない』が如何にもヒカルっぽいなぁと感じられる。大人っぽさや艶っぽさ、遊び心にほの寂しい心持ち、歌が好きであることなど、歌詞からもそういったことを読み取れはするけれど、あの、サウンドに宿る曰く言い難い無限の透明感と超越的且つ抽象的な美しさは現在のヒカルならではだなと思う。
とりわけ、インスタライブでも垣間見れたヒカルの頼もしさと心細さの同居は、現在の曲調と切っても切り離せない。あの感じだから『BADモード』で力強く『君のこと絶対守りたい』と宣言してリスナーの女子を狂喜乱舞させる一方で、『気分じゃないの(Not In The Mood)』に於いて『雨 雨 どっか行け また今度にして』と弱気な所を見せたりもできるのだ。強気になるのを躊躇わず、弱さを見せる事も厭わない。ある時は強がりまたある時は弱ってたりをずっと繰り返して二十年以上やってきて今はどちらも私と思えているのが感慨深い。ここに到れば、16年前に歌った『幸せとか不幸だとか基本的に間違ったコンセプト』という『日曜の朝』の歌詞の説得力も増すだろう。当時この詞を聴いてよくわからないと思った人も、今聴くと何となくヒカルの言いたいことがわかる気がするんじゃないかな。まぁそもそも、間違ってるからってそれが何?と思えていればそれでいいんだけどねこの歌に関しては。
って曲調の話をするつもりが歌詞の話になっちゃった。てへ。まぁそこらへんから伝わる事もあるからこれはこれでいいか!