無意識日記々

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みため

さて、ヒカルが復帰といってもイマイチピンと来ていない人も多いかと思う。幾つか理由が挙げられるかもしれないが、いちばん大きな理由は「最新のアーティスト写真がまだ公開されていないこと」にあるのではないかと思うのだ。

2011年からの人間活動期間、ヒカルは全く音沙汰がなかった訳ではなかった。折に触れてツイートやメッセは投稿されていたし、2012年にはまっさらな新曲桜流しのリリースもあった。2013年にはKuma Power Hourが毎月放送されていたし、ヒカルからの言葉や声や歌声なら届いていたのだ。唯一届いていなかったのが、“近影”、今のヒカルの姿である。

その中で2つ、例外があった。1つは2013年の8月。ヒカルは望むと望まざるとにかかわらず、写真を撮られた。もう1つは結婚で、こちらは自ら写真を公開してくれた。つまり、いずれも“プライベートを特別に公開”というカタチだった。望むと望まざるとに、かかわらず。

つまり、我々は“アーティスト”宇多田ヒカルの姿を5年以上目にしていないのだ。最も近かったのは桜流しのアートワーク。横顔の似顔絵だった。あそこまでである。

「アーティストとしての姿」。これはヒカルにとってなかなかにテーマである。固定化されたアピアランスを好まず、リリース毎にくるくると色を変え手を変え品を変え様々な姿を、見せてきた。ショートヘア、ロングヘア、黒髪、茶髪、スカート、パンツルック、服の下は水着、薄化粧、厚化粧、ベムベラベロ、などなど…本当になんでもありである。Tシャツにジーンズかと思えば殆どポンデージのような衣装もあり。確かに、Addicted To Youの時(※ 最初“中毒の時”と書こうと思ったが若いファンはこの呼称を知らないだろうなと思い直した)に言っていたように、特定のルックス・イメージをつけられない事は成功したといえる。よくやったもんである。

しかしだからこそ、アーティスト写真は重要だ。その時のヒカルがどんな音楽を作ってきたか、作った音楽をどのように捉えているか、如実にアピアランスに表れる。そして、ヒカルは、誰よりも自分の「“顔”を売った」歌手である。どのアルバムもヒカルの顔面がアートワークだ。SCv2は例外だし、EXODUSやThis Is The Oneも一風変わっているが。

即ちヒカルの最新の「顔」は、そのままニューアルバムのアートワークなのかもしれない。メイクとファッション、そしてコンセプト。今までこの5年間一切見せてこなかった「ヒカルの今の顔」は、出た瞬間に、新しいアルバムへの合図となる可能性がある。それ程までにヒカルの顔は、強烈だ。

遅くとも4月4日には新曲が聴ける。明らかなアーティスト活動の再開だが、ここはやはり、ヒカルの近影が現れて漸く「宇多田ヒカル復帰&アーティスト活動再開」を宣言できるような気がするのだ。だからこそ、ヒカルも長らく自撮り写真を公開していない。結婚式の写真をみるに、人としては別に大きな変化は無さそうだが、アーティストとしてはどういうコンセプトで挑むのか。それが明らかになったら、何もかもが動き出す。そして、暫くは、もう止まらないかもしれない。何であれ、今のうちに出来る事があるのなら、やっておいてしまいましょうね〜。