無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

例によって最後の一段落が本題。

でもラジオで復帰もいいなぁ…。

嗚呼、もし自分が企画するならスタジオからストリーミング・ライブでいきなりナマ歌歌って復帰するわ。インパクト抜群じゃなかろっか。新曲でもいいし、桜流しでもFirst Loveでもいい。でも実現は難しいだろうな。何より、『花束を君に』に関しては朝ドラ解禁が決まってるもんね。

じゃあ、「じゃない方」の新曲だったらいいのかな…? …欲張り過ぎないで現実を考えようか。

ヒカルがやや静かなのは、アルバム制作が追い込みに入っているからとも受け取れる。例えば今月いっぱいで仕上げられれば6月にはアルバムを発売できる。これは『ULTRA BLUE』のパターンだ。『DEEP RIVER』の4月下旬まで作業というのは本当にギリギリで、よくもまぁ300万枚だかなんだかという枚数を用意できたなと感心するほどだ。わざわざ余裕をもってスケジュールをとれるこの時期にそんなタイトロープはすまい。

今月で制作終了、6月発売というのが“最速”のプランである。4月4日の新曲2曲のシングルCDを発売せず、フィジカルはいきなりアルバムを買わせる作戦となる。何を買えばいいかを明確にさせる作戦は値下げとかよりよっぽど効果的だと「アナと雪の女王」の時痛感した。あの大ヒット映画の円盤は、基本的には一種類のみの販売だったのだ。DVDとBlurayを同梱させるという「これ買っときゃ間違いない」という製品だった。当たった。迷わなくていいというのは本当にありがたい。

それに倣えば、アルバムを配信販売せずCDのみで売る方法だってありえるが、流石に宇多田ヒカルブランドではやらんか。この10年、先陣を切って配信販売に動いてきたのだから今更だろう。

ただ、「CDプレイヤーを持っていない人はどうぞ配信で。でも、CDを聴ける人はCDを買ってね。」というメッセージを具現化した作戦は立ててくるとみるべきだ。材料費や輸送費なんてほぼ関係ない。CDと配信の差額がほぼそのままレコード会社の収入になるのだから(すまん少し言い過ぎた、しかし印象としてはそんな感じだ)、CDを買って貰ってなんぼだ。

さて、CDにどんな仕掛けをしてくるか、だわな。チャリティーや慈善事業を絡ませてくるとしても、CDでないとというようなケースはどのようなものがあるか。赤い羽根共同募金みたいに「寄付・募金をした証」がCDにならついてくる、とかか。くまちゃんグッズがいいのでは、とついつい思ってしまうが、ファンは兎も角世間一般に対してくまちゃんてどれくらい効き目があるか全く未知数。ましてや、5年の歳月やぞ…。


そういや、いつかやるかもと思って未だにやってないな、ヒカル。「くまちゃんのTwitterアカウント取得」な。ヒカルが呟けない事も、くまちゃんなら呟ける。いいアイデアだと思うが、やる気ないのかな。