無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

二回観た。もう第一印象じゃない。

『薄化粧』というのは、みるからにポイントである。ただの『化粧』にしなかった所に、一方踏み込んだ姿勢を感じる。

ここも、人によっては様々な解釈が可能だ。「色気づきやがって〜」と囃し立てるもよし、山に雪が積もったでも構わない(その場合は季節の移り変わりの描写になるかな。しかし、薄化粧と言い切るとどうしても死化粧としての解釈を打ち棄てる訳にはいかなくなる。

一方で、"普段"という物言いからは、あまり死化粧としての色合いは感じられない。もう普段じゃない日しか来ないのなら尚更だ。そうやってバランスをとっている、とみる事も出来るがいずれにせよフルコーラスで聴くまでは歌詞の構成がわからない。またしても、妄想するなら今のうちである。

ひとまず、今あるものをみよう。「歌声が変わった」「優しくなった」「お母さんとしての…」…Twitterで見かけた感想だ。全くその通りであって、とても優しく柔らかい。しかし、真価を発揮するのはこれからだ。今のヒカルは、歌詞に2つの横顔を託すだけでなく、歌声にも両面性を託せる技術を手に入れた。異次元の歌唱力とはそういう事だ。

既述の通り、朝の連続テレビ小説は悲しい事も楽しい事も嬉しい事も腹立たしい事も、何もかも総てが起こる。特に、とと姉ちゃんでもアバン(オープニングテーマが流れる前のドラマパート)が採用されているので、劇中の雰囲気と歌の雰囲気にある程度整合性がないとすっきりしない。

しかし、今のヒカルの歌い方だと、ある日は悲しげに、ある日は楽しげに、ある日は抑えて、ある日は開かれて聴こえるだろう。プリズムのような、万華鏡のような歌声。「七色の声をもつ」とはよく聞かれるうたい文句だが、たったひとつの歌声が七色に変化して聴こえる様を、これからのドラマ視聴者は体感する事になる。勿論連続ドラマを楽しむには感情移入が必須なので、ヒカルの歌の、ヒカルの歌声の底力を体感したい人は「とと姉ちゃん」の視聴継続をお薦めする。私が最初に感じた「恐怖」の正体を、半年かけてじっくり味わってうただきたい。その為にも、NHKドラマ班の皆様、ようよう頑張っとくれやす。


真夏の通り雨の第一印象を語り始めるまで長いな…そうこうしてるうちに日々テレビから歌声が流れ、人々の歌に対する印象がアップデートされていく。思っていた以上に、「毎日タイアップ」の威力はデカい。感想は簡潔に書いていかねばね。