制作真っ只中の中での「#おかえりHIKKI」だからこんなもんだろうとは思っていたが、いざそのこんなもんの中に身を投じてみるとあれれという感じは否めない。作詞作業中はおいそれとツイートも出来ないし、したらしたでそれだけでネットニュースになるからやりにくいし、そういう意味では復帰の実感というのは途切れ途切れだなと。
パイセンに聞け企画も、回答をまとめて発表していたが、あれを小分けに「一日一答」にして投稿するだけで大分違う。確かに手間といえば手間だが自動投稿設定だけして放置じゃいかんのだろうか。一日一答なら「明日はもしかしたら自分の質問が採用されるかもしれない」と逐次アクセスしてくれるだろうに。
毎度の事だが、プロモーションの感覚がズレている。ネガティブな事ではない。最初っから熱心なファンはターゲットではないのである。黙っててもついてくるんだからわざわざプロモートする必要がない。大事なのは短期間に集中投下してトップ・ニュースになる事。ちまちまと分散するより、一挙にどん!とやってがさっとかき集めて宇多田が居るよ!とアピールする。これがマス相手のプロモーションとしては大事なのだ。手間は二倍三倍でも相手に出来る数は十倍百倍になる。勿論、そちらをとるだろう。
6月に入った。とと姉ちゃんとNEWS ZEROで「テレビから歌声が流れてくる」のには慣れた、かな。特にNEWS ZEROに関しては毎日のニュースとともに歌が在るものだから、変わる話題と変わらぬ歌の対比が超然さと俗っぽさの同居を生んでいて、まるでヒカルの世間での立ち位置を示しているかのように映る。取り敢えず来月の改編は越して欲しいが、もし次があるならそろそろタイアップの情報が出てくるだろうから、ないのなら継続だよな。期待しておこう。
とと姉ちゃんの方は戦前戦中戦後のドラマという事で、NEWS ZEROのようなリアリティはないけれど、そろそろ戦争の影が忍び寄ってくるのであれば、ここから『花束を君に』の歌詞が効いてくるかもわからない。どのような描写になるかはわからないが。こちらは9月いっぱいまで放送が確定しているのだから、どーんと構えて待っていられる。
奇妙である。ヒカルの歌声は毎日流れてくるのに、ヒカルの声は壊れたモールス信号みたいに途切れ々々々だ。制作が終われば、本人露出の集中砲火プロモーションが始まるのか。そして我々はついていけない。一日三食なら入る量も一日一食だと食べ切れないんだよ。それももう慣れっこだけど、じゃあそれで誰が…。
思考とリズムの継続が感じられるようになったら、嗚呼、復帰したなという実感が湧いてくる。Message from Hikkiの作り上げた罪である。だから、若いファンは「こんなもんだろう」と思っているかもしれない。実際はそうじゃない。でも、今、どうなるかな。誰にもわからない。そういうもんだと、思っておく事にする。