無意識日記々

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やっぱり気の早過ぎるタイトルの話

今日は月曜日か。「とと姉ちゃん」のOPは90秒バージョンになっている筈だな。今週の金曜日にはもうフルで聴けるのだから有り難みも今日までかもしれないが、いやさ、なかなかいいものだよ。

その『花束を君に』の、ヒカルの曲(ライブラリ)の中での位置付けはどうなるかというと一言、「過渡期」だと思われる。例えば『COLORS』のようなスッキリしたPop Songとは異なる、少し(いや、物凄く、かな)工夫を凝らしたメロディーラインは、これ自体に価値がある事はいうまでもないが、ここから更に新しいメロディーを呼び込んでくる呼び水のような、鉱脈のような存在感がある。普通はそんな曲を朝ドラに提供したりなんかしないのだが、して、今既に喝采を浴びている。こちらが花束を贈って祝福したい程に。

「過渡期」というと例えば『Be My Last』『Passion』『Keep Tryin'』3部作のような作品を指す。これらを経て『This Is Love』や『Making Love』のような「文句無しのPop Song」が生まれる。他にも、『ぼくはくま』からの『Flavor Of Life』もまた、ワンクッション置いてPop Songの雛型が生まれた例だろう。勿論、過渡期の方が好きな人は『Passion』や『ぼくはくま』こそ至高、と思っていて、そのうちの1人がヒカル本人だったりする。これはもう個々の趣味の問題だろう。

稀に「過渡期かつ文句無しのPop Song」が出来る事があって、その代表例が『DISTANCE』だ。セカンドアルバム屈指のメロディーラインを持ちながら同時に「FINAL DISTANCE」の誕生の契機となりサードアルバムへの流れを決定づけた。具体的な指摘は出来ないが、『BLUE』にも同じ匂いを感じる。まぁ、タイトル・トラックにするならこういう曲かなと。

では、仮に考えてみよう。『花束を君に』は次のアルバムのタイトルトラックになるや否や。「否」と答えておこう。理由はここまでの考察でだいたい明らかだが、もっと単純な理由がある。『First Love』『Distance』『DEEP RIVER』『ULTRA BLUE』『HEART STATION』いずれも、タイトルトラックは“後から出てきた曲”なのだ。唯一、『HEART STATION』だけはアルバムリリース前に先行カットされているが、同アルバムの曲は2006年11月の『ぼくはくま』の曲なのだから、やっぱりなんだかんだでかなり後発の曲な訳だ。まぁ、『BLUE』をタイトルトラックと言っていいかは微妙だが。

つまり、まだ現時点では桜流しから数えても3曲しか発表されていないので、この『桜流し』『花束を君に』『真夏の通り雨』はいずれも次のアルバムのタイトルトラックにはならないのではないかという推測が立つ。ヒカルにとって、アルバムタイトルというのは曲が揃ってきてからつけるものなのだろう。そして、今のところの3曲からまだ“先”があるのは明白だ。ここまで3曲があまりPop Song然としていなかった事にガッカリしているファン(ひょっとしたらもう離れてしまっているかもしれないけれど)も、まだ望みは捨てなくても大丈夫、と伝えておきたい。どちらの芸風も好物な私は勿論ひたすらウハウハで、どうもすいませんですよ。