無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

本を読み海を眺める一ヶ月

@utadahikaru : アルバム完成後の喪失感がハンパない。ポルトガルの海辺のさびれた町でボロいアパートの一室借りて一ヶ月くらい海眺めたり本読んだりスケッチしたり簡単な料理だけして食材買う時以外誰とも会話せずにただ呼吸してたい…と妄想しながら夕飯食べずにベッドでごろごろ…


…子育てはどうした(笑)。

という訳で『Distance』完成後に空白の3週間でダメ人間やってた頃を彷彿とさせるツイート。なんか、「変わらんのだなぁ。」と溜め息吐いてまった。変わらんなぁ。

ポルトガルってのはロンドンっ娘からすりゃ地中海性気候の穏やかな「南国リゾート地」のイメージで、都民が沖縄だ甘味だ八丈島だと言っているようなもんだろう。『海辺のさびれた町でボロいアパートの一室を借りて』ってのは十中八九白い壁の、あのすぐアトリエに切り替わらりそうな家屋だな。油絵セット買い込んで絵ぇ描くのに最適な環境。

多分、ある程度本気でそう思ってるんだろうがそれを実行するだけの体力も残っていないのだろう。約一ヶ月、「空っぽのお母さん」に付き合わされるダヌパの心境や如何に。果たして同一人物として見てくれるのかどうか…。

15年前と比較すれば、『簡単な料理』『食材を買う』の二項目が追加されているのが大きな違いか。当時はきっと納豆のパックを開けるかデリバリを頼むかくらいしかやらんかったろうからな…。

『誰とも会話せずに』は、ロールプレイングゲームに対して人と喋りたくなくてゲームやってんのにどうしてゲームの中でまで人と会話しなきゃいけないのか的発言を思い出させる。そこらのニートには真似できない究極の…なんだろう、コミュ障でもないし単なるひきこもりでもないし、これ本当に「ひとり」になりたいんだなぁとしか。それが出来るだけ儲けてますので何の異論もござんせんが。

ひとつ。今回、『アルバム完成後の喪失感』という表現には注目しておきたい。アルバム完成で作品という大きな大きなものを得た達成感、という訳ではなさそうだ。自分から絞れるものは絞り尽くしたという感覚なのか、『DEEP RIVER』の時の、自分の言葉の森からすべてが飛び立ったような感覚との類似なのか。こちらの解釈としては、アルバム自体が『喪失感』を大きく表現した作品と成った為、その完成に伴って大きな“『喪失感』を得た”という表現が適切なのではないかという気がしている。少し、『迷子に、なろう』の「エミリー・ザ・ストレンジ」を思い起こさせるが、今度は自分で作り出して自分で得た。空っぽの自我すら相対化してプロデュース対象としてみれるならいよいよ化け物じみてきた…と言いたくなるけれど、流石に今の『ただ呼吸していたい』姿からは程遠いかな…。今はただ、プロモーションが始まるまではゆっくり休んでくださいねとしか。でも、ご飯はそれなりに食べてよね。