無意識日記々

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ライブから生まれてくる醍醐味の数々

どんなゲストが来たら吃驚するかって『Blow My Whistle』やるためにフォクシー・ブラウンが出て来ることだね。客の8割くらいがぽっかーん(笑)。でも、勿体ないよね格好いい曲なのに。ヒカル自身は気に入ってないようだけど、ライブで“思い通りの姿”を披露するのも悪くないでしょ。

前回の『WILD LIFE』でいえば『BLUE』がそれに近かったのではないかな。『ULTRA BLUE』に収録されたスタジオ・バージョンはアレンジがシンプルでまるでデモ・バージョンみたいだなと思ったものだが、『WILD LIFE』でのそれは洒脱で軽妙で、この楽曲の持つおどろおどろしい強烈さをより巧く緩和しポップスとして聴きやすいものに仕上げていた。ライブで曲が進化したり完成したりといったことがあるんですよ、えぇ。

今回そういった“アルバム・バージョンとの違い”を感じさせてくれそうなのは『夕凪』と『嫉妬されるべき人生』の2曲だ。あの2曲の編曲は“確定的な感触が弱い”という意味で未完成さを漂わせている。そもそも『夕凪』はスタジオ・ミュージシャンたちとのセッションで完成させた楽曲だ。ツアーのメンバーがその時の収録メンバーと異なるのならば、今のツアーメンバーたちの組み合わせから生まれる独自の解釈が齎される筈である。それが吉と出るか凶と出るかはやってみないとわからない。しかしそれこそがライブ・パフォーマンスの醍醐味なのだ。純粋に楽しみである。

『嫉妬されるべき人生』に関しては、演奏される会場のサイズが問題になるとみる。あの曲のもつスケール感は、何度も「まるで2枚組みたいだ」と感想を述べたくなるほどの大きな器を誇るアルバム『初恋』(来週ホントに2枚組でリリースされます)においても際立って大きい。こういう曲を広いライブ会場で演奏すると、まるで観客のその時の感情のみならず、彼らの人生そのものに影響を与えていくような感銘的なパフォーマンスが繰り広げられる可能性があるのだ。小さな会場ではそうはいかない。人の気持ちは素直なもんだからね。ひとつ間違えればとっちらかるだけなのだがチャレンジしてみる価値はある。挑めるテーマが生まれるのもまたライブコンサートの醍醐味である。

これらの身勝手な期待の数々には、ただ一公演だけで応えられるものではない。ツアーの長丁場の中で関わる人間たちがどれだけコンセプトを理解し合えていくかで固まっていくものだ。そういう意味でも今回も最終日の公演を見たいものだが、まぁ直に観れなくても『デビュー20周年記念日』の公演をライブ・シューティングする可能性は相対的に高いだろうから、来年リリースされるであろう映像作品に期待しておくことにしますかね。ライブで完成された楽曲たちとの邂逅を心よりお待ち申しておりますです。ハイ。