無意識日記々

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今夜のおおかみ

荒野のおおかみ」を読みながら「“それって同族嫌悪じゃない?”って言われるんだろうなぁ」と自分が呟く未来を想像して溜め息をつく。疲れる、ぜ。

ヒカルにタイトルをインスパイアした時点で、彼、ヘルマン・ヘッセは大きな仕事を果たした。ヒカルよりヘッセの方が有名なんだからその言い方はおかしい、と言われそうだが、宇宙はヒカルを中心にまわっている。21世紀の天動説だ。その言い方で、適切である。

それ(タイトルを与えた)だけで、彼が生きこの小説を書いた価値があった、と言っておく。

まだ4分の1ちょっとしか読んでいないので、相変わらず総体的な評価は置いておくが、読んでいて妙に悔しい。「私はマリー・アントワネットの生まれ変わりだ」と言いたくて生きているのは、生きながらどれだけ贅沢が出来るかという話なのだが、この長編小説を書いている時のヘッセは紛れもなく贅沢な"生"の使い方をしていた、といえる。そう考えるとこれは、小説というより詩と言った方がスッキリするかもしれない。純粋な…暇潰しとしての言葉の羅列。「何焦ってんの」と馬鹿にされている気がする。

読んでいてエキサイティングではない。しかし一方で、何を言っているのかわからない訳でもないので、妙なたいくつを感じる。なので、読むのは早くないが、ダラダラダラダラ読んでしまう。それ自体が狙いだとしたら、ヘッセという人は相当の天才さんである。

読んでいる途中なので、様々な感想が浮かんでは消えていく。どこかに着地するのか、それともこのまま最後まで贅の限りを尽くすのか。羨ましい、というのとも違うな、わかりあえるが友達になりたくない人、という感じだ。2曲前は「ともだち」だけどな。

これだけの言語能力を駆使して、未だ大した事を言っていない上に、言葉遊びに溺れている風にもみえない。あれ、なぜヒカルはこれが好きなんだ? 『Fantome』にほぼ同名曲を入れたんだ? 読めば読むほどわからなくなる。前の曲は『真夏の通り雨』。また違った意味で対極的であって、果たしてよい繋がりになっているやら。不安しかない。不安とう…いや、なんでもない。

いつ読み終わるやら。いつ聴けるやら。「響きがいいからそうつけただけで、あの小説とは全然関係ありません(笑)」と言ってくれた方が、どれだけ救われるかわからない。でも、それもないんだろうな。ラストまで、だらだらと読み続ける事に致します。