無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

離婚ねぇ

ふむ、あと4週間なんだが相変わらず動き出さないな。今夜か明日晩あたりが怪しいっちゃ怪しいがそれ言い出すとキリがないわね。やれやれだぜ。ゴシップ記事も、大量に情報が溢れてる時ならそこだけ浮くから気にされないもんだけど、他に何もないとそれが総てになっちゃうからね。困ったもんだ。嘘ついたもん勝ち。

勿論、いつもの通り、100%嘘じゃあないのだろう。混ぜる。常套手段だ。人は塊で認識し判断する。「記事」で認識の対象を区切ればそれに対して真偽値をデジタルに割り振っていく。「なんとなく」や「この程度」という思考が、特に数学的思考に親しんでない層(文系、だな)にとっては困難だ、というのはこの5年間イヤという程みせられてきた。それ以前からわかっていた事だけれども。

「分析」が出来ないのだ。分けて考える。それだけの事なのだが、確かに、学校でそれをちゃんと教えているかというと心許ない。「記事」といってもそこに段落があり文があり文節があり単語がある。この文は真、この文は偽、と分けて考えていければ何て事はないのだが、「記事」という単位で真偽値を与えてしまう。そしてそれが雑誌の名前になり週刊誌やスポーツ紙全体、ゴシップ全体、マスメディア全体へと広がっていき、マスコミに真偽値を与える。曰わく「マスコミは嘘を吐く。信用できない。」と。

本来なら、興味がある事柄であればあるほど分け入って問題点を絞り込むものだ。従って、上記のような情報の粗雑化(四捨五入の桁上げみたいな感じ)は、当該対象にさして関心のない層が為す行動・現象である。オリンピックでいえば、メダルかメダルじゃないかの区別みたいなもので、それはその競技や選手に興味の無い層が情報の簡単化として与える印象だ。その競技や選手に興味があってずっと追い掛けているような人間にすれば4位は3位の次に凄いとしかいいようがなく、前者が失敗で後者が成功、みたいな分け方は心情的には出来ない。昨今は、五輪については逆転現象が起こっていて、「五輪は普段興味を持って貰ってない層にアピールする場だからメダル獲得が何より重要」と競技側が認識して全体を計画しているのだが。それがいいかわるいかは別として。

という訳で、ゴシップを読んだ時には、なるべく細かく読み解く必要がある。書き手はプロである。正解な情報を伝える、という点においてではなく、読者の注意を引く、という点において。だから、100%嘘で固めたら誰も取り合ってくれなくなるし、本当の事だけを載せていても選んでもらえない。どの新聞雑誌も同じ内容になるからね。ならばそこで独自スクープをとなるのだが、日刊や週刊でコンスタントにスクープを掲載するのは難しい。従って…という環境下で生み出された技術の数々に基づいて、そうして書かれた記事なのであるから、疑うだけでも信じるだけでもどちらも足りない。大抵ここらへんで受け手側は疲弊して色々と諦める。うまく出来ている。残るのは取材対象に対する偏見だけだ。それに対して何かをする気はないのだけれど、まぁ、ええっと、そういう風なのだな、と思っておいてくださいまし。僕はアクセス数を稼ぎたくてやっている訳ではないので、わざわざ嘘を吐く必要は、ないのですから。