無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

何にも思いつかないや

「母親であること」を今後前面に押し出してくるかというと、そんなこともないかもしれない。前の結婚の時は取り立てて人妻感を出したりしなかったし、最初に出したCOLORSは別れの曲だった。歌はそれ独自の物語を語るのだから現実を反映するとは限らない。

そこはまぁ、プロフェッショナルと言いますか。言いたいことがあっても、売る以上、ニーズの無いものはやらないかもしれない。それはタイプの問題であって、いや、生き方の問題であって、外野があーすべきだこーすべきだと言ってもそれはそれ、だ。言うのは自由だけど実効性は薄いということ。

そういう視点から嵐の女神のリレコーディング案を出したのだが、ヒカルのパーソナリティにどこまでニーズがあるかというのは確かに、えぇっと、面倒臭い論点である。ゴシップ的興味にどこまで付き合うかの話だからだ。

ゴシップというのは難しい。「近所の噂話・井戸端会議」を、会った事もない人達が話題にするのだから。この「ピンと来なさ」は相当である。ある人に興味を持ち、その人の事をもっと知りたいから、という順序ではなく、テレビでみた事のある人だからという理由で…あーやっぱり面倒。

うーん、「気にしない」というのはヒカルの性格上無理だし、イタリアに居たって地元の記者が追い掛けてくるのだからもうどうすればいいのやら。

どーでもいいツイートをしても記事を書かれる立場だからなぁ…。

…うん、何も無いな。「マスメディアと付き合わない」という最良の答を放棄する以上、その都度苦しんで傷付いて悩んで恨んで心を傷めていくしかない。悪い事ばかりではないんだし。「食らいついてでも芸能界で生き残ってやる」っていう目的意識のハッキリした人ならゴシップなんて如何様にでも利用のし甲斐のある歯車のひとつに過ぎないんだけどねぇ。そうじゃあないからねぇ。

ま、何があっても、ダヌパくんが力強く生きていってくれるんならそれはそれでになるかもしれない。彼もまた1人の人間なのだから。でも立って歩いて話せるようになるまでは、大人が何とかしとかなくっちゃなんだが、やれやれだぜまったく。