『二時間だけのバカンス』のビデオや『クローゼット』という歌詞(「カミングアウトしてない」の意、だそうで)、または『ともだち』の歌詞全般を取り上げてヒカルが今回LGBTを真っ向から取り上げてくれたと話題沸騰、特にその界隈から絶賛を浴びているようだが、『Fantome』で最もLGBT色が強いのは(いや、豊かなのは、かな)、ジェンダー論まっしぐらな『俺の彼女』だろう。
理由は単純で、登場人物がそれぞれ「男」と「女」を"演じて"いるからだ。"演じる"のであるから、宝塚や歌舞伎同様、「男」は男である必要はないし「女」は女である必要はない。本人の指向性向身体的特徴は脇に置いて、兎も角"演じている"事が何より重要である。
まぁ、慌てず見て行きましょう。
次の一節は『愛想もいい』である。『気立てもいい』とかでもよかったのだろうが、次が『気の利く子だと』な為「気」が被るのを避けたのだろう。そして『仲間内でも評判だし』だ。ここが、前も述べた通り『彼女』の『彼女』たる所以だ。俺様にとって彼女とは仲間内で評判になる事こそ価値なのだ。コミュニティー内でのステイタスとしての恋人、パートナー。ただ2人で居るだけでなく、2人がカップルであるという関係性及び個々人の性質もまたコミュニティーに受け入れられている。そこが重要である。
『ヘイ。』
更に歌詞は続く。『俺の彼女は趣味や仕事に干渉してこない』。『ヘイ。』『帰りが遅くなっても聞かない 細かいこと』『あ・うー・あああ。』―メロディーはリフレイン、繰り返しだ。前段の内容を更に補強する一節、二文である。この曲ではこのリフレイン、「繰り返し」が非常に重要になってくる。何かを繰り返したらそれは何らかの伏線か、或いはどこかの伏線の回収かもしれない、と疑った方がいいだろう。
もっとも、単純な繰り返しは1つもない。この曲は常に変化を繰り返す。つまり、何度も繰り返されるのは変化だけだしその変化も1つとして同じではありえない。それを念頭に置いて、歌詞を吟味しなくては。
ここでは、バッキングに変化が出ている、のだがそこらへんの話からまた次回。ヘイ。