無意識日記々

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・だ・けれど・わ・たしじゃない

これも細かい事だが、『こまかいこと』と『あなたのとなりに』の間に挟んだ『a・uhhh・ahh-a』も巧い。男声の低いパートと女声の高いパートをユニゾンで重ねている。ここで男役と女役が切り替わる目印である。

『おんなはつらいよ めんどうとおも・わ・れたくない』の韻の踏み方も耳を引く。ここの『・わ・』はその前段の『あなたのとなりに いるのはわたし・だ・けれど・わ・たしじゃない』の『・だ・』と『・わ・』と音の位置も高さも同じにしてある。

なお、『女はつらいよ』は、この歌において重要なキーワードではない。女のつらさを訴える事がこの歌の主眼ではないという事だ。確かにこの一節が『男はつらいよ』のトリビュートなのは間違いないが、勿論別に渥美清を知らなくてもこの歌は楽しめる訳で、もっと踏み込んで言えば、重要ではないから偏った知識(この場合の"偏り"は年齢・年代に依拠する話になるけれど)に基づいた"しゃれ"で遊べるのだ。遊び心をどこに潜ませればよいか、よくよくわかっている。特にこの歌は中盤から後半にかけてシリアスなトーンに推移していくのでこういった軽さに基づいた彩りは序盤のここらへん位にしか配置できない。どこまでも計算し尽くされた歌詞である。

サウンド面では、最初に指摘した通り、ベースの下降フレーズが男声部と、ピチカート(弦を摘んで弾(はじ)いて弾(ひ)く弾(ひ)き方)っぽい上昇フレーズが女声部と対応している。のっしのっしと鷹揚な下降フレーズはユーモラスですらあるが、ピチカートの瑞々しい音色がこの歌のシリアスな側面を即座に紹介している。実際、ただ彼女を自慢しただけの男声部に較べて『貴方の隣に居るのは私だけれど私じゃない』はかなりシリアスで重い。それとバランスをとるように『女はつらいよ』とか細いセンス・オブ・ユーモアを差し挟む事によって、この後もう一度男声部の鷹揚な雰囲気に戻る事ができる。

例によって、『面倒と思われたくない』と次の『俺の彼女は済んだ話を…』の間に低音と高音によるユニゾンのハミング『ho・ohh-o・o』が入る。こうやってひとつひとつのパートを丁寧に繋ぎながら、メロディーに合わせた歌詞を次々と載せて物語を進めていくのだから、いやはや、本当にいつも、どうやって作詞を完成させているのヒカルさん?