無意識日記々

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引退会見の日

凄いな。「浅田真央が今日記者会見します」という情報がニュースとして流されるんだ。記者会見自体じゃなくて。国民的関心事なんだねぇ。

引退せずに頑張ってくれてるというのは、それだけで有り難い事なのです。ダヌパぐっちょぶ。

卓球の水谷隼は「娘が選手を続けて欲しいと思ってくれれば引退しない」と親バカぶりを発揮していたが、我が子というのはそこまで力があるものなのか。いやはや、恐れ入る。

実際、宇多田ヒカルさんの場合「敢えて未来を決める事はしない」と心に決めている節がある。小学生の頃、車を売り払ってスタジオ代を捻出する"狂った"両親を目の当たりにし、「自分はもっと堅実な職に就くんだ。ミュージシャンなんてまっぴらごめんだ」と、言ってはいないけどそんな風に決意して将来の計画を立てていたのとは対照的、いやは真逆のキャラになってしまった。

今でも、今後どうするか極力考えないようにしていると思う。最初っから向こう見ずな「いきあたりばったり」ではなく、ミュージシャンを家業とする自己の境遇において最適解として選ばれた「いきあたりばったり」なので、自堕落で刹那な享楽主義とやらとは一線を画す(なお私は自堕落で刹那で享楽主義な音楽も好みです)。つくられた主義だとでもいえば…流石にそれは言い過ぎかな。

だから将来の夢とか、本気でないのだろう。宇多田ヒカルはもう既に宇多田ヒカルなのだから、「何かになる」必要は最早ない。「自分で居る」事が大切で、裏を返せばモデルとなる生き方がどこにもないから今後の長期的展望なんて見たくても見られない。ヒカルがその気になれば今すぐにでも「今後の人生設計」を策定し、それに則って生きる事も可能だろう。そうしないのは、それがミュージシャンとしてのベターなソリューションではないからである(ルー子さん口調入りました)。


まぁ、いざ引退するとなったら、もしかしたら会見とかせずにフェイドアウトしてくれた方が有り難いかもね。一報でショックを受けるより、10年くらいかけて「…もう戻って来ないんじゃね?」と気づかされた方が幸せな気がする。自分の本来のキャラとしては「そういう事はきっちりけじめをつけて皆に自分の口で伝えるべきだ」と言いそうなもんだが、騙された方が幸せな事もある。会見なんか開かれたひにゃ翌日以降生きている自身がない。それなら寧ろ、気が変わるまで10年とか20年とかじーっとハシビロコウのように見つめて待ってる方がいい。取り敢えず、今日の浅田真央の会見と皆の反応を…いや、まぁいいかな。ぼーっと傍らで眺めておきます。